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沼津経営塾

お互いに切磋琢磨して、人生をより良いものにしていきたい。コツコツ学ぶ仲間の集いです。月1回沼津三島にて勉強会を開いています。

お通夜

8月7日  うみの塗装   海野貴

昨日のブログでも書きましたが、先日私の同級生の奥さんがガンで亡くなりました。
その同級生とは、高校時代にツルんでいたり、卒業してからも実家の工務店を継いだので仕事の付き合いもありました。
彼は私の仕事をとても認めてくれていて、同窓会などでは「海野は本当にいい仕事をする」と言って、同級生たちによく宣伝をしてくれたりもしました。
その後、実家の工務店が倒産してしまい、それがきっかけで父親とも疎遠になってしまったり、次に就職したハウスメーカーも倒産して、その後はいろいろ仕事を変えて不安定な時期が続きました、
その折々で相談に乗ったり、励ましたりしていました。
ここ数年は、安定した会社に勤めて、やっと落ち着いた感じがありました。
奥さんとは、同窓会の送り迎えをしてもらったり、私の書いた葉書きや年賀状なども見ていたようで、私にもとてもよくしてくれていました。
奥さんは偶然にもうちの近くの小学校の調理員をしていて、今年の4月の職員紹介の便りにも載っていました。
夏休みに入って、その小学校の塗装の仕事を施工する時に、給食室を職員さんたちが掃除をしていたので、その奥さんもいるかと思い覗いてみましたが、見当たらなかったので職員さんの一人に聞いてみると「家庭の事情でつい最近辞めました」とのことでした。
家庭の事情と聞いて、何か変だな?と思い、同級生に連絡をすると「海野だから言うけど、実はガンで余命1か月と宣告されている」とのことでした。
2年前にガンの手術をして、その後も抗がん剤の治療を続けていたようですが、髪の毛が抜けたり、治療の辛さから途中で抗がん剤の治療を止めてしまったそうです。
奥さんの意向で、病気のことは誰にも言っていなかったそうで、周りの人も知らなかったようです。
容体が急に悪化して先月の19日に入院をしてから、日に日に悪くなり、私が連絡をした時には「もう会話もできない状態になってしまった」と言っていまいした。
もう最期がいつ来るかを待っている状態だと言っていました。
私は驚きとショックと悲しみで、何と声を掛けたら良いかもわかりませんでした。
もう覚悟は出来ていると言っていましたが、彼もこのようなことは初めてで、どうしたらいいかわからないと言っていたので、とにかく今は奥さんに寄り添ってあげて、何かあれば何でも言ってくれと伝えました。
それから2~3日後、仕事中に連絡が入りました。
「連絡をどこまですればいいかわからないので、海野の判断に任せるよ」とのことでしたので、事前にいろいろ聞いていたので私なりに考えて連絡をすることにしました。
生前奥さんが、周りの人に知らせたくないと言っていたこともあり、彼はその辺をどうしたらいいかと思っていたそうですが、もしかしたら最後のお別れをしたい人もいるかもしれないし、多くの人に来てもらったほうが、子供にとっても良いのではないかと思い、奥さんの職場に連絡したり、高校の同級生はもちろん、彼の中学の友人や、地域の交友関係のあるところを人づてに連絡をしました。
翌日の通夜には、多くの人が参列して、「こんなに多くの人が来てくれて本当にありがたかった。海野がいろいろなところに声を掛けてくれて感謝している」と言っていました。
私は連絡を回したり、お通夜に参列することしかしませんでしたし、小学生の子供を一人で育てていかなくてはならないことに対して何もできないかもしれませんが、何かの時には力になりたいと思いました。
亡くなった奥さんも、小さな子供を残して逝ってしまうことで、心残りもあったのではないかと思います。その気持ちを思うととても辛いですが、もう私たちはそのようなことが起こる年代になっているのだと改めて思いました。
実際に友人がガンになったり、亡くなってしまうことを耳にすることが多くなっています。
どこか他人事のように思っているところがありますが、いつ自分がそのようなことになってもおかしくありません。
後悔をしないように、今必要なことをしていかなくてはならないと思いました。

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