沼津経営塾

お互いに切磋琢磨して、人生をより良いものにしていきたい。コツコツ学ぶ仲間の集いです。月1回沼津三島にて勉強会を開いています。

【馬の耳も一周年】

おはようございます!!
小野@馬耳です。

昨日もやっちゃいました!だって越膳さんが… 
今週一週間、私、小野が担当させいただきます。
宜しくお願いします。

【馬の耳も一周年】
 おかげさまで、この4月で「馬の耳」も一周年を迎える事となりました。
沼津の経営塾を始めてもうじき3年。せっかく沼津経営塾で学んだことを
「そのままにしていくのはもったいない。しかも小野さんのためには
この勉強したことを他の方々に、情報として伝えたほうがいいよ」と
杉井さんに勧められ、初めた「馬の耳」。
最初はどうなることかと思いましたが、早いですね!
もう一年が経ちました。
つくり始めた当初、送る楽しさ半分、作る辛さ半分で、(辛さの方が大きかったかな?)
ずいぶん苦戦することもありましたが、皆さんからの励ましの声と
裏で支えて下さっている方々のおかげで、何とかここまで来ました。
ありがとうございます。

一年をふり返り、第一号から、十二号まで、読んでみました。
んん??意外と面白い!(自画自賛!)
一年でも続けてきたとこで、立派な歴史になりましたし、
沼津経営塾の議事録?として、後にしっかり残すことが出来るように
なりました。
今後の課題として、スピードが上げられます。
その月の始めにお届けできるようにしていきたいと思います。
え? 3月号がまだ届いてない?
発走(笑)は終わりました。そろそろ届くと思います。すみません!
だって越膳さんが…
どんな一週間になるのか分かりませんが
お付き合いを宜しくお願いいたします。
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サロマへ向けて

3月30日  金曜日  海野貴

一週間ありがとうございました。
今回は年頭に立てた「100kmマラソン完走計画」について書きます。
前回のブログで、昨年12月から6月のサロマ100kmマラソンまでの計画を書きました。
12月から2月までは計画通り以上の練習を、無理をせずにこなしてきました。
2月までは、とにかく下地作りに専念し、
ゆっくりゆっくり足を作る事を意識して、練習をしました。
昨年は練習で無理をして、本番では惨めな思いをしたので、
絶対に怪我をしないように練習をしました。
しかし、2月の終わりと、駿府マラソンで20kmオーバーを走ってから、
膝痛、腰痛が出てきました。
2月までは自分の決めた事を、無理せずにこなして行く練習でしたが、
3月からは、100kmを見据えて、一度に長く走る時期になります。
当然足への負担は大きくなり、体のケアが必要になってきます。
目的のために、練習を休むという判断もしなければなりません。
ただガムシャラに走るのは簡単ですが、
体の調子を見ながら、練習を休むというのは本当に難しく、
練習不足にもなってしまう可能性が出てきます。
4月の終わりにある富士五湖100kmのために、
4月前半には、50kmを走る練習をする必要があります。
ここへきて、とても不安になってきました。
長い間コツコツ練習してきた分、無理をしてその努力が
台無しになるのが怖くなってきました。
結局、自分で判断し練習をしていかなければなりませんが、
今までの経験の中から判断するしかありません。
何事もそうですが、いろんな経験を積みながら、
自分に合った練習方法を見つけて行くしか無いのだと思います。
去年は、杉井さんと一緒に練習をしましたが、
杉井さんと僕とでは、体の強さなども違うと思います。
ですから今年は、杉井さんと同じ練習をするのではなく、
アドバイスをもらいながら、自分のペースでやっていこうと思います。
自分のペースを把握するために、GPS付の心拍計も買いました。
感に頼ってやるのではなく、
「この位のスピードで、この距離を走ったらどうなる」
というのを確認しながら、練習をしていこうと思います。
フォームも基本的なことはあると思いますが、
結局は、長い距離を走りながら、自分の走りやすいフォームを
自分で見つけていくしかないと思います。
サロマまでの3ヶ月間は、月の目標は決めますが、
それにこだわるのではなく、本番で成果を出せるように、
常に目的を意識して練習をしていこうと思います。
それと同時に、CLもやります。

値引き

3月29日  木曜日  海野貴

3月24日のブログに書いた、農協の不動産担当のSさんから電話を頂きました。
「大家さんから、値引き交渉を依頼されました」との事でした。
一応、大家さんに「この業者さんは、きちんとした仕事をするので、値引きは期待しないで下さい」と伝えてきたと言っていました。
この物件は、合い見積りですので、他の業者さんとの競争になります。
僕は今回は、何とか仕事をさせてもらいたいと思っていましたし、
農協さんが僕の見積金額に上乗せすると思っていましたので、
多少安めに見積もっていました。
僕は「基本的には値引きはしないんですが」と言ったら、
Sさんが「そうですよね!ブランドに傷がつくようなことは出来ませんよね」と言いました。
ブランド?!そんな大そうなモノはないんですけど・・・
「出来ないなら出来ないで良いと思います。出来たとしても無理はしないで下さい」
と言うので、「一晩考えさせて下さい」と言いました。
正直とても悩みました。
今回は、見積り依頼をいただいて、すごく嬉しかったし、
実際に仕事をやらせてもらったという実績も欲しかったです。
そして何より、仕事をさせてもらって大家さんから
「このペンキ屋を紹介してもらって良かった」と言ってもらえれば、
Sさんも喜ぶだろうし、次からはもっと僕を押してくれるかもしれないと思いました。
それには、まず仕事をいただけなければなりません。
しかし、Sさんの言った“ブランド”という言葉が気になりました。
僕は自分自身が商品なので、値段を下げるという事は、
自分で自分の価値を下げる事のように思いました。
MGでもそうですが、「売りたい」と思うと
僕はすぐ値段を下げてしまいます。その結果はいつも赤字です。
今回も、仕事が欲しいといって、値段を下げてしまうと
先が無いように思いました。
自分の価値を自分が信じられないようでは、
人が選んでくれるはずがないとも思いました。
「あなたに頼みたい」と言ってもらえるような付加価値をつけるためにも
値引きグセを止める必要があると思いました。
将来、社員さんが出来た時に、
「俺たちは安っぽい仕事はしない!胸を張れる仕事をするぞ!」
と言いたいじゃないですか!ですから自分を安く売ってはいけないと思いました。

結局、悩んだあげく、端数を削っただけにしました。
これじゃ、たいして変わらないよ!という金額です。
メチャメチャ中途半端です。
「この物件は仕様の変更も出来ないし、これよりランクの低い材料を使ったら、
お客さんのためにもならないので、この程度しか値引けません」と
伝えました。
Sさんも「そうですね。これでもう一度押してみます」と言ってくれました。
この判断が良かったかどうかは分かりませんが、結果を受け入れようと思います。
決まっても、決まらなくてもSさんと飲みに行きたいと思います。

時間が無い!

3月28日  水曜日  海野貴

昨日のブログは、本当にヤバかったです。
飲み会から帰って来た時の記憶も無く、
「ハッ!」と気が付くと、朝の5時55分で、
高村くんとのランニングの待ち合わせ5分前でした。
ブログも、何も書いて無かったので、
今日は休みにしてもらおうと思い、メールをしようと思ったら、
高村くんからメールが入っていて「風邪で休みます」とありました。
ラッキーでした。
しかし、何も出来ていないし、仕事も行かなくてはならなかったので、
時間がありませんでした。
普段はブログを書くのに、大体2時間くらい掛かってしまいますが、
1時間しか時間がありませんでした。
とにかく書くしか無かったので、昨日のブログは
あまり深く考えないで書いてしまいました。
自分としては、何か物足りない感じがしています。
そして、深く考えないで書いたことで、
何か皆さんに申し訳ないという気持ちがあります。
昨日のブログを読んでの、皆さんの率直な感想を聞かせて下さい。
内容については、いろいろあると思いますが、
文面から、いつもより雑な印象を受けたり、丁寧さが無い、
文章が短いなどあったら教えてください。

いつもは、書く時に、「どんな言い回しが良いかなぁ」とか
「この表現はまずいな」とかいろいろ考えて書いています。
文章力が無いのもありますが、なかなか文章が出来ません。
もし、深く考えた分だけ良い文章になっていれば良いのですが、
いつもと変わらないとなると、
ただいたずらに時間を使っているだけということになります。
これは普段でもよくやっているように思います。
考えているような振りをしているだけで、決断を先送りにしたり、
「う~ん!」と腕組みをしながら、頭の中は大して考えていない事など
よくあります。
今回は、とにかく時間が無かったので「う~ん!」と考え込まずに
パッパと書きました。
自分の中では、物足りなさがあっても、
読む人が、「大して変わらない」というのなら、
それで良いんだと思います。
その分、早く終われば時間が短縮され、別の事に時間を使えます。
ただでさえ能力が無いので、時間を有効に使いたいと思います。
このブログを書きながらも、何度も「う~ん!」をやってしまいました。
この時の頭の中って、あまり考えていませんね。

臨時収入

3月27日  火曜日  海野貴

先日、町内会長さんから、消防団員手当てとしてお金を頂きました。
僕の町内(第5町内会)は、僕が消防に入るまで誰もなり手が無く、
団員ゼロの町内でした。
僕が入った時に、団員の人たちが、
「第5町内会の町内会長は、全く消防団に協力しない」と
悪く言っていました。
過去の経緯もいろいろあったようですが、僕は何も知らないので
「そうなんだ」ぐらいにしか思っていませんでした。
消防団と町内会長との懇談会で初めてお会いし、
挨拶をした時も、そんなに悪い感じではありませんでしたし、
実際、葉書を書いたときも、丁寧に返事の葉書を書いてくれました。
その後も、何かと協力してくれました。
消防団ともいろいろあった町内会長でも、接近戦で親しくなれば、
良い関係になれるものだと思いました。
そして今回も「これは消防団とは関係なく、町内から君に渡すお金だから
自由に使ってください」と言ってくれました。
今までは無かったようですが、今回から、そうしてくれたそうです。

思いもよらない臨時収入でしたので、
これは何か良い使い方をしようと思いました。
そこで、今回退団する先輩に食事をご馳走することにしました。
前から、退団する人たちに何かしてあげたいと思っていたので丁度良かったです。
消防団としては、4月に歓送迎会をするのですが、
個人的にしてあげれば、より嬉しいのではないかと思いました。
辞めるときに、「消防をやっていて良かった」と少しでも思ってくれれば良いと思いました。
高村君も賛同してくれたので、29日にみんなで行くことになりました。
お世話になった先輩方とも最後になってしまうので、楽しんできたいと思います

自然の力は恐ろしい

3月26日 月曜日 海野貴

昨日の朝方、雨と共に風がだんだん強くなってきました。
今入っている、御殿場の現場は、黄瀬川のすぐ横で、
周りに風を遮るものが何も無いので、普段から風が強い現場でした。
家にいると、時より突風みたいな風が吹くようになったので、
心配になって、足場屋さんと現場を見に行きました。
現場に着くと、やはり風がもの凄く、嵐のようでした。
足場を点検してみると、ネットがもろに風を受けて、
足場全体がズレていました。外壁にも足場がガンガン当たり
傷ついていました。
風に煽られ、足場が外れているところもあり、
このままでは、足場の崩壊もあり得る感じだったので、
ネットをたたむ事にしました。
強風、土砂降りの雨の中、足場に上ったら、
そこはまさに修羅場でした。
風に煽られている足場は、もの凄く揺れが激しく
立っているのでさえやっとでした。
しかも、目の前には増水した黄瀬川の激流があります。
川までは20mもなく、もし突風で飛ばされて川に落ちたら
間違いなく死ぬと思いました。
恐怖で足がすくみ、体が震えました。
しかし、やらなければ大変なことになってしまうので、
やりました。
下の方はまだ良かったのですが、上の方に行ったら、
更に揺れが激しく、怖くて泣きそうになりました。
しかも、作業ははかどらず、先も見えない。
恐怖、絶望感から途方にくれ、逃げ出したいという気持ちに
何度もなりました。
そこで僕を救ってくれたのは、足場屋の斎藤くんの存在でした。
斎藤くんがいてくれるだけで、どれだけ心強かったか分かりません。
斎藤くんと、とにかく怪我はしないように気をつけよう!と
声を掛け合いながらやりました。
ネットは足場の一番上から縛ってあります。
そこへは、足場の柱によじ登っていかなければ、手が届きません。
この時ばかりは、とても普通の精神状態では上れませんでした。
「クソーッ!」「止めーッ!」などと叫びながら上りました。
顔や目に大粒の雨がバチバチ当たり、
ろくに目を開けれない状態での作業でした。
何とか、ネットをたたみ終わり、風をモロに受けなくなったので、
揺れも少なくなり、足場の崩壊は無いだろうというところまで
もっていきました。
作業が終わってからも、安堵感などは無く、放心状態でした。

今回の件で、いろいろな事に気が付きました。
前々から足場の件で気になっていた事があったのですが、
「言いにくい」という理由で言わなかった事がありました。
今回その部分が外れていました。
ささいな事でも、それが原因で大事になってしまう危険性を
身を持って感じました。何かあってからでは、
お互い嫌な思いをしてしまいます。
ですから、そうならないように、言いにくい事でも
言わなければいけないと思いました。
それが僕の役割であるし、責任を持つという事だと思いました。
今回は何とか大事に至らなくて済みましたが、
もしネットを外すことも危険で出来ない状態であれば、
作業を止めて、その後に起こり得ることに対しての保険も
もう一度見直そうと思いました。
自然の力の怖さを再確認したと同時に、人の力も感じました。
そばにいてくれるだけで、勇気を与えてくれました。
そして、自然の力には勝てませんから、いつも天気予報などに注意して、
事前の対策や、大丈夫だろうという甘い考えを無くしていこうと思います。
痛い、怖い思いをした分、次に活かしていこうと思います。
痛い思いをしないとやらない自分が情けないです。トホホ・・・

ボランティア

3月25日 日曜日  海野貴

ブログを書こうと思いパソコンに向かっていたら、
何故か、パソコン台の下に頭を突っ込んで寝ていました。
危ない!危ない!飲みすぎました!

昨日は、越膳さんのお誘いで障害を持った方の運動会の手伝いに行ってきました。
同友会の活動でしたが、メンバーが足りなかったので
僕にも声がかかりました。
障害を持った方のお手伝いをするのは初めてだったので、良い経験になりました。
僕は、そういうボランティアの活動などしたことが無くて、
ボランティア活動に誘われることも無く、あまり感心もありませんでした。
どちらかというと、胡散臭いというふうに思っていたところがありました。
しかし、経営塾に入って、いろいろな活動をするなかで、
ボランティアなどは、自分のためにやるものだと思うようになりました。
以前は、困っている人や、他人のためにやるものだと思っていて、
どちらかというと、「してあげる」という感じがあったと思います。
しかし、実際は、そうゆう行動をすることによって、
自分が少し優しい気持ちになったり、
自分の周りの環境が良くなるということのために、
させてもらっているのだと思うようになりました。
「してあげる」というと、少し上から見ている感じにもなります。
させてもらって、自分たちが少しでも優しい人になれたら、
自分たちが優しくなった分だけ、
少しですが、優しい社会になると思います。
そうなることが、ボランティアをする意味だと思うようになりました。

ですから今回は、お手伝いに行くのでは無く、
そこで自分が、一緒になって楽しむことが一番だと思いました。
僕は障害を持った方たちと、あまり接したことが無かったので、
行く前は、どんな感じか分からず、少し不安でしたが、
実際に行ってみると、全く普通でした。
子供たちも喜んだと思いますが、
それ以上に僕達の方が楽しんだと思います。
そして、こうゆう活動を続けている越膳さんたちや、
法人会の浅野さんたちは、本当に立派だと思いました。
その後の飲み会も、飲んで歌って、笑って泣いて
本当に楽しい一日になりました。

もしかして「ファン?」

3月24日 土曜日  海野貴

一週間よろしくお願いします。
ネタがないので、普段、気付いた事、思った事を
書こうと思います。

僕は以前から、消防と農協は関係が深いので、農協の管理するアパートの
塗装の仕事などを貰えないかと考えていました。
去年の10月に、中学の時の同級生で農協に勤めている友達に
消防で会い(友達も隣の分団の団員)話しをしてみました。
「うちの近くの支店と本店の不動産の担当なら仲が良いから話しをしておくよ」
と言って話しをつけてくれました。
営業下手で、何を話せば良いか分かりませんでしたが、
とにかく「仕事は丁寧な仕事を心掛けています」ということを伝え、
後は、とにかく世間話をしようと思い、会いに行きました。
担当の方々は、友達の紹介ということもあり、
とても気さくに迎えてくれました。年も同世代でしたので
話しも弾みました。名刺を見ながら、家族や、マラソンの話をしました。

その後は、何も音沙汰無かったのですが、
先日、3月20日の午前中に本店のSさんから電話があり、
「アパートの見積りをお願いします」とのことでした。
その電話では、「葉書や年賀状をもらってありがとうございます。
早く仕事を紹介したいと思っていたので、良かったです」
「この物件は何としても決めたい」と言ってくれました。
Sさんは少し興奮気味で、とても嬉しそうでした。
僕に仕事をくれるのを喜んでもらえるなんて、
僕も嬉しくて興奮してきました。
これは相手の期待を上回らなければと思い、
とにかく速く見積書を作って、持って行こうと思いました。
午後からの現場仕事は親に任せて、早速、見積もりに行きました。
大家さんに会い、少しでも良い印象を持ってもらおうと
できるだけ笑顔で話をしました。(山本さんに鍛えて貰えば良かった)
21日が祭日でしたので、22日の朝に提出できるように、
夜中までかかって作りました。
仕事が、決まるか決まらないかは分かりませんが、
Sさんに、良い印象を持ってもらうために、
できるだけ速く、丁寧に作りました。

22日の午前中に見積書を渡しに行きました。
一通り説明をして、話しをしている中で、
「僕に仕事を渡したい」というのが本当に伝わってきました。
しかも農協は、僕の見積り金額に上乗せはしないと言っていました。
僕は当然上乗せするものだと思って、聞いてみたら、
「今度、飲みに連れてってくれれば良いよ!冗談!冗談!」
と言っていました。
お客さんは組合員さんなので、ここの農協では上乗せはしないそうです。
仕事が決まっても、Sさんには何のメリットも無いのに、
ここまでしてくれるなんて本当に有り難いと思いました。
もしかして「ファン」と呼べる存在かもしれないと思いました。
葉書、年賀状を出しただけで、こんなに良くしてくれるSさんに感謝です。
話しの中で、初めて会った時に、マラソンの話しをしたので、
それからSさんもランニングを始めたそうです。
「こないだ、雑誌のランナーズ買っちゃったよ」とまで言っていました。
仕事だけでなく、もっと親交を深めたいと思いました。
冗談でも、飲みに行く話しが出たので、本当に飲みに行く約束をしました。
知り合いではなく、友達になれれば良いと思います。

修理屋柴田

柴田です。最後お願いします(やっとで最終回)
今日は原田君と夜話した内容で、原田君が、いい話だ
と言ってくれて、ブログに書いたらと言われた事を書きます
僕は最初ユニットバスを組み立てる会社をやってました
でも、下田の現場で水漏れ事故を起してしまい
取引停止になりました。ですから自動的に山三住研
は潰れてしまいました。
「本当にこれからどうしようまいったなー」でした
でも、ちょうど積水では修理をする人を探していただけど
みんな、怒ったお客の所にわざわざ行って文句を言われるなんて
嫌みたいで、誰もやる人がいませんでした。
それで、お前一人だったら修理屋の仕事を出してやるよ
と言われました。はっきり言って選択の余地はなかったんで
修理屋になりました。
最初の内は当然なかなか上手く仕事ができませんでした。
それは、まずユニットバスの組み立てと修理は、似たような
仕事なんですが、全く違う仕事で、まずアポ取が上手く
できませんでした
アポが取れて現場に行っても直し方が解らない現場も沢山あり
色々電話をかけまくって教えてもらい、どうにか自分なりの
修理方法をあみだして行くしかありませんでした
だから、当然1日で何軒も回れなくて苦戦してました。
でも、僕は水漏れを起した工事店の元社長だから仕事がもらえるだけ
ラッキーでした。だから、肩身狭いけど修理屋をやりました。
そして、しばらくすると積水の取引先の課長(今部長になってる)
から怒りの電話が来ました。「とにかく処理日数がかかりすぎる
それで、お客様にサービスしてるつもりか!!」と怒られました。
でもたった一人でやってて誰も助けてくれない(嫌われた職業なので)
ので1日3,4件周るのがやっとでし。でもクレームは多い時は
1日で20件来る時もありました。ですから常に残工事が50~70件
ぐらいあって2,3週間先まで予定がつまってました。
そこに水漏れが出るとその日の予定をお客に謝って延期して
もらったりしてやってたのでどう頑張っても無理でした。
でも「仕事が無いより怒られているほうがましだ」と思い
毎日怒りの電話を聞いて「すいません、頑張りますんで
もう少し待ってください」と言い続けてやりました
でも普通だったら仕事が遅ければ他の会社にふって
仕事を取られちゃうんですが、この仕事は、
皆、嫌でたらい回しになった仕事ばかり
ですから、ののしられても、仕事は必ず僕の物でした。
だから営業しなくても仕事が入ってきました。
それを続けているとだんだん処理能力が効率よくなり早く
できるようになってきましたそれでも課長さんは、
「全然遅い!話になんねえじゃん!」と怒ってました。
でも「怒られるのも仕事」と思い何とか続けていました
そしたら少しづつ怒りの電話が減ってきました
結局3年半ぐらいで電話がなくなったと思います。
その時から積水の取引先の信用を得る事ができました
今まで怒ってばっかの課長さんが「何かあったら柴田に言え!」
と言ってくれるようになり、僕が困って電話すると、
課長にできる事は全面的に協力してくれるようになりました。
あと、僕の立場は修理屋なんで組み立ての職人さんたちの
手抜きも直さなくてはならないので、どうしても皆から嫌われました
だから積水の社員旅行や忘年会などはあまり誘って
もらえませんでした。でも積水の取引先の方から
「どうせお前嫌われもんだから、こっちの社員旅行にこい!」
って言ってくれました。
嬉しかったです、しかも社外で参加してるのは僕含めて2社しか
呼んでもらえてなかったんです
そしたらだんだん売上も伸びてきて新築の職人が
「儲かるなら俺もやりたい」と言ってきました
でも結局、儲かってるからと言って入ってきた会社は
組み立てと修理の違いが解ってないので
当然現場で修理不可能と判断します
そこで僕が行って直していくから結局たった一人でも
10人以上いる会社と戦って勝てました。
「お前の会社なんていつでもつぶせるんだよー!」
と言う電話も何度かありましたが、「やりたきゃ、やってみろ!」
って言ってがんばりました。
だから、つまらない仕事でもやり方によっては
みんながやりたくなる仕事に変える事ができる
もんなんだなあと思いました
皆さん、1週間ありがとうございました

この話を警報機交換をしてる原田君に捧げる
ジャじゃーん!

オリジンに入って良かった所

柴田です。よろしくお願いします。
オリジンに入って良かったなーと思う事のを書きたいと
思います。
まず一つ目は、突然代表が会社にきて話し出す!です
社員になる前は、代表の話を聞こうと思ったら
その時間、その場所、でお金を払ってでないと
聞けなかったんですが、給料もらって聞ける
のが結構お得ジャンと思いました。
その中で一番印象に残ってる言葉が
「お金持ちになるのはわっきゃないんだよ」
でした(すみませんどうしてもお金と言う単語に反応
しちゃいました)でも代表のその言葉は本当に
心の深い底から出てる言葉に聞こえました
迷いながら言ってる感じが全くありませんでした
やっぱこういう所が普通と違う所なのかなーと思いました
だからその言葉をどうにか心の底に入れればOK
なんだなーと思いました
あと、原田君と暮すようになったことです
原田君は快く一緒に暮すのを受け入れてくれました
居候の僕に気を使って色々してくれます
夜、仕事が終わって部屋で話をするのが勉強に
なって楽しいです。
原田君には、僕が変わりもんなんで無意識に悪さを
しちゃてると思うんだけど、仲良くしてくれるので
感謝してます。ありがとうございます。
あと、毎日何か良い事をしないといけないんです
最初は結構めんどくさくて忘れたりしたんですが
ごみ拾ったり、靴そろえたり、掃除したりすると
めぐりめぐって結局自分の為になってるなー
と思いました。
こんな会社、他にないですよ!どうです入ってみては
海野さんいつからこっちに来るんですか?

神様のタイミング

柴田です今日も元気におねがいします
皆さんのコメントの中に僕が行動したから念じた事が
かなったと、書く人が多かったんですが、
僕は確かに行動しなければ何も起こらないと思います
だけど、僕は、それだけじゃないような感じがします
なぜかというと、それは一言で言うとタイミングです。
僕がどうして変わらなければいけないと思ったかと言うと
本当の最初は、家庭中がごちゃごちゃしてて
どうしたらいいんだろうと悩んでいたら、「仕事もこのままじゃ
まずいよなー」と思うようになりました。
それから、幸せな金持ちとは何?を考えるようになりました。
それから代表に出会いその後に売上が半分以下に
なりました。
お金とは何かという勉強を始めて代表に出会う前に
売上が減っていたら多分僕はどうなっていたか分かりません
勉強して代表に出会って売上減の順番だから僕はどうにか
ここまで乗り切れました。
何か宗教のお誘いみたいになってきてしまうんですが
神様っているかも!?って思っちゃいます
確かに行動をしないと駄目なんだけど、僕の場合
何だかんだ言ってピンチになってもギリギリの所で
タイミングよくセーフ!って言うのがよくあります。
だから、悪い出来事が起きたときって神様が人生のシフトチェンジ
してくれる時で悪い事が起きないと良い事が起きない
ような感じがしてきました。
だから、悪い出来事が起きた時は慌てず喜んで
問題に立ち向かえばいいのかなーと思いました
そうすれば神様のタイミングがもっとくるかも?
でも、そういう気持ちってむずかしいですよねー
あと代表の家の前がだんだん道が整備されてきて
「もうすぐ通りやすくなりますね」と言ったら
代表は「そうなれば車も沢山通るようになるから今の静かさが
なくなる、だから良いも悪いもないんだよ」といいました
ちょっと今回の話と違うところがあるけど何が起きても
平常心を保ち頑張るのが良いのかと思いました

強く念じるといいかも!

柴田です今日もよろしくお願いします
2005年の10月ぐらいに僕は何とか自分を変えなければ
いけないと思ってた所に本田健さんと言う大金持ちの
本を読んでショックを受けました。
本田さんはユダヤ人大富豪のゲーラーさんと言う
メンターに出会い、大金持ちになりました。
メンターというのは人生の師匠みたいな人のことで
本田さんはゲラーさんの教えで幸せなお金持ちに
なっていきました。
僕は、その本を読んだ時「いいなーそんな人が近くにいたら
最高だよなー」って思っていました
でもそんなこと言ってても進まないのでとにかく
俺のメンターはこの本達だ、と思いお金持ちになった人の
本を読んでまとめてパソコンにデーターベース化して
打ち込みました1日10項目以上打ち込むという事にして
毎日やりましたできなさそうな日は、前の日に20項目
まとめたりして1年で4000個以上のいいなと思った
言葉を打ち込みました。
その中でやっぱりお金持ちになっていく人たちは、
みんな素晴らしいメンターに出会っているので
俺も何とか四角くない息をしてるメンターに出会いたいと思いました
それで、とにかくよさそうな人に「友達になって」と言う事
にしました。
でもただその人の前でそんなこと言っても「あっちいけ
しっし!!」になってしまうんで、本をまとめたのを
プリンタで出して「僕こういう勉強してるけど友達に
なってくれませんか?」と言えばもしかしたらいけるかも
と思い、まず最初、株の投資家小泉さんという人の
セミナーに出て「友達になってください」と言ったら
結構あっさりメル友になってくれました。
でもなかなかメールのやり取りはするものの
それでメンターになってくれるわけじゃあありません
でも次ぎ行ってみようと言うことで、”読書のすすめ”
と言う本屋を東京でやってる人がいて面白そうだったので
行って見ましたがなかなか留守にしてることが多く
1日ねばったけど会うことができませんでした。
そんなことを何回かくりかえしていて
長岡さんに誘ってもらった講演会で杉井代表に
会わせてもらいました
最初の印象は「この人、志太なまりがあって、
懐かしい言葉を使う人だなー」でした。
そして、今まであんまり相手にしてくれた人がいなかったので
「まあとにかく仲良くしとけば損はないら」と思ってた
程度でした「ダメならダメで次行ってみようと思っていました」
ところが、沼津経営塾に参加させてもらい何回も
会ううちに(当然本をまとめたのは渡しました)
代表が気が付くと僕のメンターのような存在になってました
なんだかんだで1年半ぐらいでメンターを見つけることが
できました。
しかも代表の近くにはそれぞれ個性のあるメンター
(経営塾の人たち)がうじゃうじゃいるじゃないですか、
僕はやっぱ強く念じるって結構いいかもと思いました
でも皆さんあんまり「う~ん!」って念じてケツから
実を出さないでください!

ダメな自分でも受け入れる

柴田です今日もお願いします
年末ぐらいからブログを見て書くのが辛くなっていました
理由はよく解りませんでしたがブログ当番受けた時
何となく解ってきました。
オリジンに入って忙しいと言う理由もありますがいい訳でした。
その理由は、やっぱ特に岩崎さんなんかを見てると
「すげーなー!俺もこうなりたい!負けないぞ!」と思っていました
でも前の当番の時は本を読んで色々考えていたので
勢いがあったと思います(良い悪い別にして)
だから結構元気に書き込めてたんですが
あの当番が終わってから
僕は今までの考え方を一度壊して
作り直さなくてはいけないのでイマイチ、フヌケ状態で
書いても自分的には、つまんなくて結局書き込まないでという日が
何日か続いて結局ブログを見ることもしなくなっていました
そして、当番が回ってきてちゃんと書かなくては
いけない所に追いつめられました
でも西村さんにそのことを言ったら
「その作り直している所を書いたらいいじゃない」と言われました
確かに言われてみればそうなんだと思いました
今の自分を冷静に見てそれを素直にダメな事も受け入れる
と言うのが大事だと思いました
簡単そうですがとても勇気がいることだと思います
何とか勇気を出して前に進んで行きたいと思います
皆さんも勇気を出して!今日1日やりきりましょう!

残念な出来事

オリジンに入る時にあった残念な話を書きます
僕は山三住研という会社でMIMと言う会社の伊東さん
という人に仕事を依頼してやっていました。
ですから、僕がオリジンの社員になるということは伊東さんは、
オリジンの社員になるか、やめるかのどちらかでした。
伊東さんは、仕事はまじめにしっかりやるけど僕より年上
と言うこともあり伊東さんの心の中では僕より上に
居ると思っていたみたいで僕がオリジンに行こう
と言った時、何で勝手に決めるんだと言うことで反発してきました。
結局オリジンには入らない事になりました。
それどころか、上の会社に行って「仕事を流してくれ」と言い、
僕の商売敵になりました。
僕は伊東さんは仕事はしっかりやってくるので少しぐらいの
わがままは、目をつぶってきました。
だから、いざという時に自分のコントロールが効かなくなっていました
伊東さんは、お客との時間は守りましたが
朝の僕との集合の時間は10分ぐらいよく遅れました。
10分の集合の遅れは移動時間に余裕があるので大丈夫でしたが
今考えるとそういう所を、なあなあにしてたからこうなったんだ
と思います
僕は時間的な理由以外どんなお風呂の修理でも直しに現場に行くぞ
と言うガッツはありました。
だから、積水という大きい会社が僕を相手にしてくれたと思います
でも僕はそれだけが自分の存在価値になってしまい
「それさえあればいいんだ」と言うことで
伊東さんに注意をしっかりすると言う行動をしなくていい、
言い訳にしていました
今回の出来事で僕は、人の上に立つ人は
もしかしたら、その時は「嫌な事を言う人だ」と嫌われるかも
しれないけど、その人の為に言ってあげることの大切さ(優しさ)
一つだけの自分の長所にしがみついていると
それ以外の問題を隠す言い訳になってしまう
危険があると言うことがわかりました

柴田オリジンに入る!

柴田です今日から1週間よろしくお願いします
皆さん知ってのとおり僕は今年からオリジンという会社に
入らせてもらいました
あんまり面白くないかもしれませんが、入社するまでの事
を書きたいと思います
それは突然、杉井代表が12月のMGの朝のマラソンで
「柴田君、嫌かもしれないけど、オリジンに仕事ごと来なー!」でした。
僕は冗談だと思いましたが、こう言う冗談は言わない人だと
思ってましたから
「マジで!本当に俺でいいのかなー?」と思いました。
でも、その時は返事をしませんでしたが、頭の中では
行くことに決めてました
何故かと言うと今自分が病気や怪我で仕事ができなくなったとき
収入がなくなってしまうと言う不安がありました。
この問題の答えがオリジンで解るんではないかと思いました。
それと、あと10年たったら、このまま続けていたらという道と
オリジンの道とと考えたらオリジンの道の方がいいんじゃないかなーと
思いました。
と、まあ、色々な理由はあるんですが、結局の所「杉井代表の近くに
居ると何かいい事ありそう」と言うことでした。
いい加減な理由なんですが今考えると、これが一番の理由です。
オリジンに来て単身赴任になり毎日家族と会えない寂しさや、今まで自由に
仕事をやってたのが、勝手にできなくなったりして
マイナスの所も沢山あります
でも、やっぱオリジン来て正解でした。
なーんか毎日が楽しく感じます。
ホント、オリジンって変な会社です。
PS
オリジンでの僕のテーマ
今年オリジンのテーマは”ニコ、キビ、ハキ”です
で、僕のオリジンのテーマは”オラ、オラ、オリャー”にしました
ワケは、やっぱり自分の青チップは元気だよなーと思いました
だからこれで勝負します。
とにかく勢い良く精一杯元気にやりたいとおもいます
そしてこの元気を沢山の人に叩き込んでいきたいと思います
お願いします!!オリャー!!!
ペコリ?!!

マラソンに学ぶ

おはようございます、越膳です。

とうとう最終日まで引っ張ってきました。こんな薄っぺらい内容でも、苦し紛れでもコメント下さる方々にあらためて感謝です!
私も、して頂くばかりでなく他の人が担当の時にも、それがどんな内容でも、一言でいいから必ずコメントする習慣と行動をとっていきたいと思います。
先日静岡で岩崎さんの本気の応援を頂きました。その場にいた皆さんも感じ取ったと思います。
でも当日までにもいろいろあったんです。相談にのってくれたり打ち合わせの為に当社まで山本さんと足を運んでくれたり、他にもあれこれと・・・。 小さな応援の繰り返しが大きな応援に繋がると思いました。私も頂くばかりでなく、与える人になるべく精進しなければいけませんね!
と、いうことで前置きが長くなりましたが最終日、宜しくお願い致します!!

【マラソンに学ぶ】
日数稼ぎの為に、たった1日の出来事に無理やりスポットをあててここまで引っ張ってきたというのが正直なところです。
でも本当にたくさんの事があった1日でした。今回ここでは書きませんでしたが、2次会の時にもある出来事が起こりました。その出来事は私への気付きと他人への発信を促しました。
(先週の静岡ブログのコメントにてその事に触れていますので良かったら見て下さい)
最終日につき、今回の1日の中で気付き、学んだ事を簡単に整理して纏めて締めさせていただきます。
① 良き仲間・スタッフの存在
スタッフみんなで走りました。経営塾の仲間と走りました。皆と一緒だから走れました。
それが本当に有難いと思いました。
② 家族
実家の両親、弟家族、私の家族、全員勢ぞろいで応援に来てくれました。その事実が嬉しいです。
なぜなら両親は本当に忙しく働いていて授業参観も運動会も野球の試合も吹奏楽の演奏も来ないことが多かったし、私は自分の家族に自分が苦しんでいるところをあまり見せたことがなかったからです。
「とうちゃーん、よく頑張ったね~、誕生日おめでとう!」翌朝のチビたち3人の言葉にウルッ。
両親に御礼の、初めてのハガキを送りました。もらって嬉しくて繰り返し読んだと、返事を頂きました。
家族の絆が一層深まったと思いました。
③ 挑戦
10kmにせよ20kmにせよ得意でないことで普段やっていないことでした。
挑んだ時点で1歩前進したと思いました。
④ 遠くを図る
挑む気持ちだけでは結果は付いてきませんでした。より結果に拘れば日々の行動も違ったはずです。
目標から逆に辿った行動の重要性を再認識しました。
⑤ 与える/与えられる
たくさんの声援を頂きました。元気を頂きました。
たくさんの声援を送りました。またまた元気を頂きました。
⑥ やり切る
私と会社に一番欠けていること。MGでもそれが出て結果を悪くしていました。また、その都度その都度でそれをやり切るということがどういうことなのか?具体的にする必要があると思いました。

以上でございます! 何か参考になることがあれば幸いです。 私自身は今後も同じ感動、違った気付きが得られるように努めていきたいと思います!  1週間有難うございました!!

マラソン6

おはようございます、越膳です。
ラス前です。苦情が殺到する前に締めたいところですが、完走が目標なので・・・
ということで6日目、宜しくお願い致します。

【マラソン6】
ようやく自分で戻ってきた彼は私にこう言いました。
「とにかく最後まで完走したかったんです。やり切りたかったんです!」。
どうやら歩いてここまで戻ってきたということらしい・・・
しかもよくよく話を聞いてみると、散々誘導車に乗るように言われたらしいが、それを断り続けて歩いてきたということのようです。

結果的に皆さんにご心配ご迷惑をお掛けしましたが、当人は真面目に“やり切る”を実行する為に時間をかけて歩いてきたんです。

私は自分が面接する時必ず言う言葉を思い出しました。
「真面目で一生懸命で数字に強い人が当社の求めている人材です」と。
真面目は素質です。
今まで散々不真面目で急に真面目になれる人は少ないと思います。
一緒に仕事をしていく上でこの真面目は外せません。
一生懸命は努力です。
やたら要領のいい人や、見ていないところで適当に手を抜く人を何人も見てきました。
一緒に会社を創っていく上でこの一生懸命は欠かせません。
数字とは具体性です。
見た目やイメージだけで人や物事を判断し、それを言い訳にしたり人の悪口を言ったりする人がいます。
これは算数が得意ということでなく、数字に置き換えて具体的にして物事を判断できるということです。
一緒に経営していく上でこの数字に強いは必要です。

係員の誘いを断りながら、彼は真面目に一生懸命にゴールを目指したんですね。
一見ボーっとしていて病弱そうに見える彼ですが、上の2つは持っているんです。

このような、ちょっと手は掛かるけど育て甲斐のある人が私のところには多いと思います。
もっとも自分が今にも増して若い頃はそうでしたから・・・

遅れ馳せながら打ち上げ会場に着くと、皆さんが暖かく拍手で迎えて下さいました!
仲間とは本当に有難い! ここでも実感です!!
その後何人かが彼に話し掛けて下さっていました。そんな気遣いや優しさがとても嬉しかったです。
偶然重なった誕生日も皆さんにたくさん祝ってもらえて本当に幸せを感じました。
あんなに大勢の人たちに囲まれての暖かな誕生日は初めてでしたから。
スタッフからもらった全従業員45名の寄せ書き入りTシャツにはグッとくるものがありました。

打ち上げ→カラオケ→おでん屋→カラオケ、と呑めや歌えやで楽しい時間は過ぎていきました。
また一つのメモリーが出来ました。
ただ、単なる思い出に留まらず幾つかの学び、気付き、今後に活かすべき事がありました
それは?                     
明日へ続く・・・

マラソン5

おはようございます、越膳です。
皆さん!飽きてきた~ なんて言わずにもう少しお付き合い下さいませ。
ということで5日目、宜しくお願い致します。

【マラソン5】
ゴールした後、水分補給はしたもののやはり喉はカラカラです。
小野さんがセッティングして下さった会場へいけば冷たいビールで渇きと疲れを癒せる!
さあ行くぞ! と思ったらスタッフが一人いません。

おいおいまだ戻ってきていないのか? 他のスタッフに聞いてもそのいない彼のことを誰も知りません。
誰かの話によると最後尾にいたらしい、とのことから、じゃあバスでの戻りだからそのうち戻ってくるな、と思いしばらく待ってみました。
ただ、時間が経っても一向に来ません。仕方なく他の方々には先に行って頂き、手分けで探すことにしました。
海野さん、河田さん、輿水さんたちも心配して下さり一緒に探してくださいました。
その節は本当に有難うございました。

私も大会本部に行き、路上遭難者の届けが無いかなどを問い合わせ調べてもらいました。
本部にも救急センターにもそのような届けは無い、とのこと。
「ん~?」、と困っていると本部の方が「コースに沿って探しましょう!」と言って下さいました。
早速テレビ局の車が本部テントに回されましたので助手席に乗りました。
係りの方達が水や担架、毛布など車に積んでいるのを見て胸がドキドキしました。

最初は「まったく何処行っちまったんだ?」と思ってましたが、その時はとにかく心配で心配でしょうがありませんでした。
会場を出て県庁前からコース通りに車がゆっくりと走っていきます。
白い長Tを隈なく探しました。いません。それらしき姿はどこにもありません。

本部の方が「稀にゼッケン外して完走目指すんだけど、街中に入っちゃう場合があるんですよね」と言いました。それでは探すのはとても困難になってしまいます。

安倍川餅の石部屋が見えてきて、そろそろ橋を渡るという時、携帯が鳴りました。
スタッフからです。「いたか!?」の問いに「今ここに戻ってきました!」の返事。
いやー、良かった~  超脱力です・・・
そのやり取りを聞きながら運転していた本部の方がニッコリ笑って「じゃあ引き返しますね」。
後部座席で一緒にキョロキョロして下さった女性の係りの人も「良かったですね~」。
私はひたすら「ご迷惑をおかけしてスミマセン、スミマセン、スミマセン」と謝りました。
「何事も無かったのが一番ですよ。これに懲りずまた来年も皆さんでチャレンジして下さい!」
と本部の方々が優しく力強く声をかけてくれて、皆の待つ場所まで送ってくれました。

自転車レースでやらかした当社としては、駿府はいろんな意味でリベンジでしたが、またまたやっちゃいましたね。 でも当人が怪我も無く無事に帰ってきてくれたのでヤレヤレです。
久しぶりに会った当人が「スミマセンでした」と誤りながら私に近づいてきました。
事の経緯や事由を尋ねる私に彼はこう言ったんです。          明日へ続く・・・  

マラソン4

おはようございます、越膳です。
ここまできたら完走を目指します!
折り返しの4日目、宜しくお願い致します。

【マラソン4】
「ファイトー!」、「ガンバレー!」などなどの仲間内の声援の先に○○氏の姿が!
まさか最初にうちのスタッフは来ないだろうと思っていたのでショックはありませんでしたが、その人に声援を送りながらも益々スタッフ達の状況が気になりました。
子供たちも「竹田君は?田村君は?」と気になっているようでした。

そのうち間を空けながら次々に仲間たちが入ってきました。
苦しそうな表情もあれば、半ば余裕で手を振って入ってくる人もいました。

時間的足きりもあるのでそろそろ来ないかな~と思っていると杉井さんと隼人君が入ってきました。
2人ともなんともいえない笑顔でしたね。
肉離れでも完走するその姿には感動しました!

次々入ってくる仲間の中にスタッフの姿はありません・・・
どうしたんだろう? やっぱりきつかったかな? そのうち揃って入ってくるかも?
あれこれ不安と期待がエスカレートしながら待っていると見覚えのある白い長Tのランナーが入ってきました。
あ! 義治だ!! 皆で揃えた白地の服のランナーはスタッフの植松でした。

非常に苦しそうな表情で、土色に染まったその顔から、もはややっとの思いでここまで来た事が分かります。
「ヨシジー! ガンバレー!!」 それ以外の掛け声は出ませんでした。
声援を送る以外、何も出来ない自分が歯痒かったです。でもイーリード第1号の到着に安堵しました。
さあ!彼に続いてくるのは誰だ!? 後に続いて来るであろうスタッフに期待も膨らみます。

しばらくすると後ろからまたまた揃いの服が近づいてきました。でもそこは沿道です。
真でした。てっきり走って入って来るのを見逃したと自分は思ってしまいました。
残念ながら時間切れバスツアーになってしまったとのことでした。
上手く声をかけてやれない自分にまた歯痒くなりました。

スタッフはその後は次々とバスツアーで帰還してきました。どうやら植松以外は皆バスのようです。
しかしながら、考えてみればよくやったと思います。挑戦しただけ立派だと思います。
仕事もそうですが、結果は欲しいです。
でも、その結果を出す事にどう取り組んだか? どう拘ったか? が大事で当日の結果など大した問題ではないのかもしれません。

みんなで走ろうと決めて、みんなでこうして走って、各々が今の自分と向き合い、次の自分に期待しながらまた挑戦していくことが良いのですね~

さあ、これで大会も終わり打ち上げだ!ビールだ! と思ったのですが。   明日へ続く・・・

マラソン3

おはようございます、越膳です。
オイオイ! まだ引っ張るんですか~ という声が聞こえてきそうですが引っ張ります・・・
ということで3日目も宜しくお願いします!

【マラソン3】
バタバタと旗を振りながら叫ぶ顔が近づいてきました。
「とうちゃーん! ガンバレー!!」
長男と次男でした。横には手を振るカミサンが見えます。更にその横には弟家族と親父がいました。
「アニキー!ファイトー!」
その声援に手を上げて応えながら、その声援に後押しされてグンとスピードを上げました。
相変わらず「誕生日おめでとうー!」の見知らぬ方達の嬉しい声援も聞こえます。

そしてしばらく進むと橋の袂付近にまた見慣れた小さな顔が視界に入ってきました。
少し遠慮がちに旗を振りながら「パパー!頑張ってー!」と叫んでいます。
娘でした。 その横にはお袋がいました。

こんなにも家族の声援を受けながら故郷静岡の街を走れるなんて!
私は幸せをモロに感じていました。

堀の周りを走り終えて城内に入ると、デッカイ声が聞こえてきました。
「越膳さーん!誕生日おめでとうー!!」  三国さんでした。
他の仲間たちの声援も頂きました。嬉しかったです!

手元の時計が59分になろうとしていました。
ラストスパートです! なんとしても1時間以内にゴールするぞ!!
目標は明確でした。ガンガンとばしました。

もう声援も聞こえないくらいイッパイイッパイのところでゴールしました。
時計を止めると59分40秒でした。

私のレースは終わりました。ゴール付近の砂埃がやけにウザかったですがようやく落ち着いて汗を拭えると思うと途端に力が抜けました。

記録証を頂く為に列に並んでいると、発行係りの女の子たちが「お誕生日おめでとうございます!」と声を揃えて言ってくれました。最後の最後まで小野さん効果です!

自分のレースは終わりましたが、その頃ハーフ出走組みが奮闘していました。
私は早々に着替えて応援モードに入りました。

なんと言ってもスタッフ達の状況が気になります。 天気が良いだけに暑さが厳しくなっていないか?
果たして無事帰ってくるだろうか? 怪我や脱水症状は無いか? 期待と不安が交錯していました。
しばらくすると前方で応援している河田さん、コネクトさん、西村さんらの声が聞こえました。
誰か戻ってきたようです。 まさか!?
横山さん、小野さんらと並んで待つ私は柵の上に身を乗り出しました!    明日へ続く・・・

マラソン2

おはようございます、越膳です。
なんと、マラソンネタで2日目へ引っ張りました!
ということで2日目も宜しくお願い致します。

【マラソン2】
「パーン!」という合図で「ワーっ」という歓声に押されるように県庁前をランナーの大波が動き始めました。
私は教司さん、宏実さん、横山さんと一緒に小野さんの待ち構える左側沿道を意識しつつかなり後方からのスタートでした。
前半は絶対にペースを抑えると決めていたので教司さんとのRUNが非常にマッチしていました。
また、2人でいろいろ話しながらでしたのでとても楽しかったです。

小野さんからの襷のお陰で沿道から「誕生日おめでとう!」、「がんばれー!」などたくさんの声援が頂けました。中には「あの人誕生日だって、クスクス」なんて囁き染みた声も聞こえましたが・・・

「おめでとう!」、「頑張れ!」の声援に後押しされながらも、教司さんとゆっくり楽しく走っていたのですが、安倍川に差し掛かる少し手前で振り返ると後ろに2~3人しかいないことに気付きました!
ヤバっ! 「教司さん!僕ら最後尾ですよ~」 さすがに焦りましたね。

でも急にペースアップは危険だと思ったのでしばらくこのままでいいかなと思いましたが、体は正直で最後尾という焦りと沿道からの声援が私の足をコントロールし始めて、段々ペースがあがってきました。
もっとも1時間以内での完走という目標もありましたから、ぼちぼちペースアップはしないと。

橋を渡ったあたりからは前半のとばしでバテてきたランナーも出始めたのでどんどん人を掻き分けるように走っていきました。

折り返し地点から橋を渡り返したあたりは夕べの酒も枯れているはずなのにバンバン汗が出ます。
でも不思議と疲れは感じずにいました。まだ酔っているのか!?
それにしてもやはり声援が大きいですね~
先月コネクトさんの研修を覗かせて貰った時、ホワイトボードに「人を応援するということは自分が本気になっているところを見せること」と書いてあったのを思い出します。
今自分が本気で走ることが人を応援する(勇気を与える)ことになるとしたら・・・?
その先、どこか分かりませんが我が家のちびっ子応援団が待ち構えているはずだから、と益々本気モードで走ろう!と思いました。

中町ビル(橋を背にして突き当たりのビル)が目前です!
沿道の人も増えてきました。ナルナル越膳としては一番燃えるところです!!

中町ビルをかわし無数の振り旗に吸い込まれるように駿府城外堀沿道へと入っていきました。
この時が一番スピードがノッていたと記憶しています。

裁判所付近の堀端へ差し掛かったとき右手前方に見慣れた小さな顔が2つ視界に入りました。その2つの顔はとっても嬉しそうな顔で、破れると思うほどに旗をバタバタと振りながら叫んでいました。少し手前からでしたが私の耳にはハッキリと聞こえたんです。 「とうちゃーん!!」  明日へ続く・・・

マラソン

おはようございます、越膳です。
前回同様、男岩崎さんからの襷を受け取りましたの!
静岡に引き続いてナルナルでいきますので宜しくお願いします!!

【マラソン】
おーっと! いきなりこのネタか~!
記憶が無くなる前に書いておきたかったこととある意図があるもので、スミマセン・・・

ご存知、先日の日曜日に県下最大の駿府マラソンが行われました。
総勢8,900人のランナーが出走したようです。

このマラソンに参加しようと決めたのが確か1月だったと思います。
スタッフ達には強要はしませんでしたが、経営塾やMGなどで皆さんと交流している間に触発されて自発的に参加を決めたようでした。
ただ出るなら全員、しかも20代は全員ハーフへのチャレンジを促したのは私です・・・
結局私以外は全員ハーフへのエントリーとなりました。
なぜ私が10kmだったか? ヘタレだから・・・
真面目に重い腰痛持ちで、エントリーする頃は頭痛もひどく、ハーフというテンションまで上がらなかったんです。感情本位です。

さておき、スタッフ達は毎日業務終了後にみんなで走ると決めたらしく、各部署とも暗くなってから会社周辺をジョギングし始めました。みんなが揃って汗を流している風景はいいですね~

みんなでのジョギングを開始したのはよかったのですが、しばらくすると人によってやったりやらなかったりのバラつきが出始めました。
また、ハーフという距離を甘く考えているのでは?という傾向も見え隠れしていました。

そこで、週に1回は必ず全スタッフで走るように提案しました。そうすれば自分が皆と比べて体力的にどうなのか、などその時点での実力も実感できるかもしれないと思ったからです。
基本的にはスタッフ達の自発性を尊重したかったのであまり口出ししないようにしましたが。

当日までにはインフルエンザにかかる者、風邪を引く者、風呂で転ぶ者(?)、いろいろとありましたが、予定していた人数より2名欠いていよいよ本番を向かえました!

天気は快晴、ほぼ無風、気温はやや高めですが、絶好のマラソン日和です!
私は10kmですからスタートが早いので一足先にスタート地点へ向かいました。
小野さんから頂いた「本日お誕生日」という襷を下げて!

県庁前に大勢のランナーが集結して凄い熱気です。駿府で一部門のスタート前でこの熱気だから東京マラソンはそうとうすごかったんだろうな~と思いました。
先頭には元ランナーの松野さんや元エスパルス(高校の1級先輩)の沢登氏もいたらしい。
とにかく高校のマラソン大会以来18年ぶりで、このようなレース大会は勿論初めて。やや緊張。

いよいよ、小島市長のピストル合図で一斉にスタートです!         明日へ続く・・・

本気で生きる

平成19年3月9日(金)

おはようございます。
早いもので最終日となりました。
ラストの今日も、宜しくお付き合いください。

皆さんもご存知かと思いますが、去年の暮れから今年の年始にかけての約8日間、我が沼津インター店にて、杉井宏実社長が研修をされました。
その事をお話したいと思います。

いきさつ。前回初めてブログ当番をさせて頂いた初日11月18日の一番に頂いたコメントです。
そうです!!杉井さんです。
「是非、社員を岩崎さんのお店で研修させてください!」
初めは、お世辞を頂いたと、思っていたのです。お世辞でも、嬉しいじゃないですか。
もしくは・・冗談??

しかし、杉井さんは、本気だったのです。

考えました。自分の店に研修に来て、得れる事があるのか?
まだまだ出来ていない事だらけなのに・・・。
自分に出来る限りの事をしよう、そう思いました。

12月27日研修1日目、10時30分頃、杉井宏実さんがお店に来ました。
名刺交換して、制服に着替えて、ココイチの考え方、自分の考え方・・話をしました。
接客用語の説明をして皆に、自己紹介をして・・・。
お互い、何かが違う。そうです!遠慮しているのです。
僕は、杉井さん(代表)の弟という事を意識し過ぎて、教えづらい。
このままでは、貴重な時間がもったいない。
杉井宏実さんをバックヤードに呼んで、話をしました。
自分の思ってる事・・・
「杉井さん、悪いけど、杉井さん(代表)の弟として見ません!杉井さん(代表)の事は関係なく、杉井宏実という1人の人と付き合いたい。だから、遠慮なく研修させて頂きます。」
「杉井さんの事、宏さんっと呼ばせて頂きます。いいですか?」
「お願いします。」
そこから、自分の気持ちが楽になったのは、確かでした。

この、8日間で何を持って返って貰えるだろう。
ニコ、キビ、ハキ、はもちろんの事、社長としての本気と、オーラだと思いました。
社長としてのオーラをどうすれば出せるのか?

自分が宏さんに求めたのは、まず声です。
声が出ない、出せない。裏に呼んで何回も何回も、声出しの練習をしました。
いつも、出している声より少し高めに、意識して!!
もっと声出して!!
笑顔で研修してはいても、こちらも本気です。
本気で接する全自分を見てもらえば解かってもらえる、そう考えました。

次に、宏さんに求めたのは、笑顔です。
宏さんの一生懸命さは、伝わってきます。しかし、僕が求めている笑顔が出せないのです。
ここで、登場です。笑顔の達人、山本です。
山本が、休憩に入った時に
「宏さん、山本に笑顔教わって来て」
そんな事が2回ありました。
裏で何があったかは解かりませんが、今までに、見た事も無いくらいの笑顔をして戻ってきました。
しかも2回目は、目が真っ赤で涙を流したのが、バレバレ状態・・・
山本は何をしたのだろーか???
後でこっそり、山本に聞きました。
「私そんなつもり無かったんですけど、宏さんの弱い所をついちゃったみたいです・・」
話の詳細を聞き、納得してしまいました。
宏さんが、研修に入ったその日から、毎日毎日代わる代わる杉井さん(代表)・同僚・経営塾の仲間・・・、
来てくれていました。誰も来ないという日は1日も無かったです。
それは、宏さんの財産ですね。
羨ましく想いましたよ、心から!!

最終日までに、二人で他の2店舗に行きました。
正直、見せたく無かったです。
なぜか?
インター店以上のレベルが無いのを解かっていたからです。
原店で、髪の毛が長い男の子を使っている責任者、元気の無い柿田川店・・・。
そうなんです。店長次第で店の雰囲気は変わるのです。
売上が悪い店は、店長を代えればいい事なのです。
店長、責任者次第で店も変わる。
いくら、新しい店でも、元気がなければ、同じ照明の明るさでも暗く感じ、空気も全て変わります。
店長次第で店が変わる。その上には、『社長次第で会社は変わる』ということなのです。
自分がまだまだだから・・・だから自分がもっともっと社員達に『本気』を見せなければいけないのです。
宏さんは、それを感じ取った事でしょう。

宗次直美会長は、ここ3年オーナー懇親会の前の挨拶にて、加盟オーナーさん達に
「やる気がないんだったら、カレー屋の看板返してラーメン屋でも、牛丼屋でも、何でもいいからやりなさいよ!!」
「やる気を、本気を、見せなさいよ!!」
「独立当時の気持ちを、思い出しなさいよ!!」
「原点回帰なのよ!!やりなさいよ!!」
っと、自分達に、カツをいれてくれます。気合いが入ります。

宏さんが、ここで学んだ事を、生かすも殺すも宏さん次第です。
宏さんに対して、自分に何ができたか解かりません。
ただ言えるのは、今後も互いに切磋琢磨しあえる、良き友人・ライバルでありたい!ということです。
僕達社長業は、24時間仕事の事を考えなくてはいけないのです。
だから、サラリーマンより給料がいいのです。
自分も給料泥棒と言われない仕事をします。
いつ、どこで、誰に見られても、恥ずかしく無い仕事をします。
人生1回限り、どうせなら良い人生にする為に!!

皆さん経営者として・社会人として、『本気』のオーラを放出できるようお互い頑張りましょう!!

皆さん!!
1週間ありがとうございました。
この1週間の僕のテーマは『伝える・届ける』でした。
そのため1日1日の文章が長くもなりました。
写真を貼り付ける、という工夫もしました。
自分の経験を聞いてもらう事で、僕を皆さんに知ってもらう良い機会になったと思います。

今を、楽しくするのも、つまんなくするのも自分次第!!
今を本気で生きていれば、過去も未来も輝くのです。

この場を借りて、杉井さん。
宏さんとの縁を頂いてありがとうございました。心より感謝いたします。

越膳隊長!!バトンタッチです。宜しくおねがいします。

本当にありがとうございました。

              ペコリ

影響を受ける

平成19年3月8日(木)

おはようございます。6日目ラス前です。お願いします。

皆さんは、誰かの一言で決意が固まった事、ありませんか?


今年の自分のテーマ「任せる」を掲げたのですが・・・。
数年前から、ある社員(S君)の事を、ずっと悩み続けていました。
彼は人付き合いが苦手でした。
周りとのコミニケーションが上手にとれない事・自分が一緒にいる時と、居ない時とで、態度や仕事に対する姿勢の違いが激しい事・裏表がある事・・・。
僕の前では、とっても良いのですが、いないと・・・
彼の事で、店長・責任者・自分で、朝方まで話し合ったことは何度もありました。
S君を何とかしてあげたい・・・。
これでは、接客業のプロとしても、社会人としても、彼に自分の大切な従業員さん・お客様・お店を任せられない、という状況でした。
しかし、お店が人手不足だったのも事実・・そのままのポジションで仕事を続けてもらうしかない・・・。
僕自身が守りに入っていたのも事実でした。
皆と上手くやって欲しいという自分の思いも虚しく、彼はどんどん孤立していきました。

S君は、自分が社員時代、清水市で自分が採用したアルバイトでした。
まだ、高校1年生でした。高校生活3年間、学校以上にアルバイトは頑張ってくれました。
アルバイトで稼いだお金を家に入れていた、真面目な彼でした。
就職して2年目に、ひょっこりお店に顔を出しました。しかし・・無理して笑顔を作っている・・。
心の中で、「何かあったな?」と思いました。
仕事が終わって、店のカウンターで話をしました。
「どうしただ~」、
「就職したんですけど、辞めてしいました・・・。」
「まじで!?」
「また、岩崎さんと仕事がしたいです・・・」
正直、嬉しかったです。
後日、僕は彼と一緒に清水まで行き、ご両親に挨拶をして、社員として働いてもらう事になりました。
実家・清水を離れて、自分を頼ってきたS君を、彼が納得いくまで、最後までちゃんと面倒をみよう、そういう思いで彼を採用しました。

1月23日、この日は沼津経営塾のブログに、僕が『社員が一人退職しました』と、コメントしたその日です。
なぜ、その日だったのか?
それは、その日のあるブログのコメントに背中を押されたからなのです。

1月23日の静岡経営塾のブログのコメントで、
『どんなに力があっても、やる気のない人は早く辞めてくれた方が、結局は会社のためです。全て希望通りには行きませんが、そうしたことを通して会社を強化し、ステップアップして行けば良いだけのことです』
と言う、杉井さんのコメントがありました。
この、コメントを読んで、頭をかなづちで打たれたかのような、衝撃を感じました。
心底、納得できる自分がいました。
自分の事を言われている気にもなりました。
見透かされている・・・解かっていても、手をこまねいているしか出来ずにいた、そういう自分の図星を指されたからかもしれません。

このブログを読んで、S君が今どんな感じで仕事をしているのかとても気になり、その時S君と一緒に仕事をしていた山本に電話して、彼の状況を聞きました。
彼女は『どうしてあげたらいいのか解からないです』と言いました。
詳しい話を聞き、自分はS君と話し合う決心をしました。
そう、杉井さんのコメントに背中を押されていたのです。

夕方4時25分頃、インター店に着きました。
自分はカウンターに座りました。彼は僕の目の前で仕込みをしていました。
ここでもし話をすれば、多分彼が辞める方を選択する、と思っていました。
長年の勘でしょうか?心が痛い・・自分の力不足なのか?
30分位、話をしたでしょうか。残念ながら彼にやる気・本気は感じ取れませんでした。
意を決して
「もー限界だろ、○○○君さ~」
返って来た言葉は、
「そうですね~・・・」
「いいよ、自分で決めなよ・・・」
「ありがとうございました。」

1月23日16:56、S君はレグルスで最後となるタイムカードを押しました。

多分、杉井さんのコメントを見ていなかったら、自分は未だ守りに入っていたと思います。
言葉では説明しにくいのですが、後ろに杉井さんがいてくれるような・・・心強い気持ちでした。
先が見えた・・・そんな風に感じました。
あのコメントは、もちろん僕に宛てられたメッセージという訳ではありません。
でも、自分にも与えてもらうものが大きかったのです。
実際、レグルスがそれまで手をこまねき、どうしようもなかった事の、解決の糸口になってくれたのですから。
杉井さん、ありがたかったです。

自分の気持ちが固まれば、あとは行動を起こすのみです。
今いるスタッフさん達を守り、働きがいのある店を作る事を使命感として、日々努力する事だけです。

今現在、人手不足は解消されないままで、シフト的にはキツクなった従業員もいますが、店の雰囲気が良くなったこと、一部の従業員ではありますが、個々がレベルアップしているのは事実です。
杉井さんのコメントにあった『会社の強化・ステップアップ』に間違いなく近づいている、と思えます。

よいお店の条件が3つあります。

顧客満足・・・・Customer Satisfaction
従業員満足・・・Employee Satisfaction
会社満足・・・・Company Satisfaction

この三角形のバランスが取れているお店を作りたいと思います。

また、新しい出会いを求めて・・・

P.S 今日は経営塾の日ですね。皆さんとお会いできる事
    楽しみにしています。

 ありがとうございました。

              ペコリ

影響を与える

平成19年3月7日 (水)

おはようございます。5日目お願いします。

皆さんも、自分の行動や想いが届くといいな、と思う時ありますよね?

平成17年6月頃です。本部のスーパーバイザーより電話にてこのような依頼がありました。
「7月頃、直営店、加盟店の社員研修会の講師として、岩崎さんに講演をしてほしいのですが・・・」
「何故、僕に??」
「本当に、成功したオーナーさんの生の声で、社員達にやる気を与えて欲しいのです!!」
う!!自分が、講師??人前で話すのが苦手なオレが・・・
「あの~時間もらえますか?」
「いいですよ!でも、岩崎さんにやってほしいな~」
3分後・・・
「やります!!」
いつもの癖です。負けん気でしょうか?お願いされたら、断れない性格・・・良くも、悪くも・・

会場は、壱番屋本社(愛知県一宮市)の隣の研修センターです。
対象となる社員さんは24人、全員独立志望でいつか社長になりたいと夢を追いかけている人達。
彼らは過去の自分です。
本部からの公演内容の指示は、自分の今まで経験と、夢を達成させた事、現在の自分、これからの自分。そして彼らに、夢を与えてあげてください、というものでした。

自分なりに考え、紙に書いては消し、書いては消し・・
何よりも、人前で話した事が無い自分・・・
考えただけでも、緊張しました。緊張すれば、忘れてしまう自分がいて・・・。

ある日、彼らに何かを、プレゼントしたい!っと思いました。
何か、残るものを・・そうだ!!お守り!お守りいいじゃん!!ひらめきました。
後日、三島大社にお守りを買いに行きましたが・・・何のお守り??
見ていると、「夢を叶える」お守りを見つけました。
何と、色が黄色です。カレーと同じ、ココイチカラーも黄色、必然を感じました。
本部のスタッフさん達には、車での移動が激しいので「安全運転のお守り」を買いました。
もしかしたら浜島社長にも会える・・っと思いもう1つ買いました。
人生でこんなにお守りを買った事はなかったです。全部で30個(自分のは、買い忘れました)

さあ、当日です。
「岩崎さん、時間です。お願いします」
お!!!心の中でどうしよ~どうしよ!!
顔は涼しい顔です。澄ました声で、
「ハイ、解かりました。」
会場の一番前に通されました。・・マイク付きです。
皆、見てる!!30人以上、オレを見てる!!
全員、オレだけ見てる。顔は真っ赤かです。
椅子に座り、自己紹介をしました。(足が震えてる・・最悪・・)
しかし、しゃべり始めたら緊張感も少しずつなくなり
今までの人生の事、修行時代苦しかった事、嬉しかった事、目標をいつも持っていた事、お金のため方、独立許可がおりた時の喜び、1号店目のオープンの嬉しかった事、社長になって良かった事、ベンツを買った事、これからの夢・・・・
彼らの顔つきがどんどん変わっていくのが解かります。
自分が話している事を一語一句聞き逃すまいと、メモを取っている姿には、ちょっと焦りましたね。
その分、こちらも気合いが入ります。
約1時間30分の講演を、皆さん夢中になって聞いてくれました。
その後、質疑応答・・・たくさんの質問に答え、最後にあのお守りを1人ずつ渡しました。
研修社員さん、本部の方々、浜島社長まで、本当に喜んで頂きました。
買ってきて良かった~~。
拍手喝采で幕は閉じました。
本部の方々から「ン~~!!岩崎オーナー!いい講演でしたよ!!。」
嬉しかったです。

食事会は、僕を囲んで質問されたり、握手を求められたり・・(ミッキーマウス状態)。少し、照れましたが、いい1日でした。
この中で、本当にオーナーになれる人材がいるかどうかは誰にも解かりません。
出来れば、皆さん独立して欲しい!!と心から思いました。
自分に出来る事は・・・?伝える事しかできませんでしたが、ヒントになる事があればいいと思いました。
宗次直美会長は、講演でこんな話をしていました。
「人生80年の中のたったの3年か5年、独立するまでがむしゃらにやってごらんなさい。死に物狂いでやりなさい。365日かける3年たった1095日頑張れば、その後には、幸せが待っているんだから。」と。

帰ってきて、無事に終わってホッとしたのと、満足感はありました。
でも、正直、移動での肉体的疲労、精神的な疲れもありました。
考えてもみてください。
自分が話した事が、誰かの人生に影響を与える事になるかもしれないのです。
凄い事をしてきたもんだと、後から実感しましたよ・・・。
しかも、相手は見ず知らずの人達。
『夢を与える』ことができたかどうかは、解かりません。
それでも、自分が歩いてきた道が、良くも悪くもどこかで誰かの役に立ててもらえているなら、幸いです。

杉井さんは、このようなことを月に何度もやってるなんて・・・心からすごいなと思います。
アーティスティックスの12周年の講演、自分も本当に参考になりました。

静岡清水駅前店のオーナーさんは、このとき僕の話を聞いてくれていた研修社員の1人です。
独立が決まった時、夫婦そろってわざわざ自分のところに報告に来てくれました。
自分の事の様に嬉しかったのを覚えています。

ありがとうございました。

ペコリ

自分の甘さ故に

平成19年3月6日(火)

おはようございます。4日目です。お願いします。

皆さんも、大切な物が壊れたり、失った悲しい経験ありますよね?

平成13年7月21日3連休も終わり家に帰ってご飯を食べ、ウトウトしていると深夜1時45分頃携帯が鳴りました。
こんな時間に・・・?社員です。
「どお~したの??」
「岩崎さん!岩崎さん!!」
「なに??何、焦ってるの??」
「店に、店に、警察が!警察が!泥棒が、泥棒が・・」
「また~何言ってるの?」(冗談か??)
「本当ですよ!!」
「な~~~~に?!」
「売上は大丈夫か!!???」
「無いです!」
「マジで!!!警察は何人?」
「パトカーがいっぱい!いっぱいいます!」
「待ってろ、すぐ行くから!!」
パンツ一丁だった自分は、すぐ制服に着替えて車で店に向かいました。
かなり焦っていました。興奮していました。(夢か・・現実か・・)
信号無視したかった位ですが、「事故したら何もならない・・・」自分に言い聞かせていました。
店に着くと、パトカーが8台、無造作に止まっていました。
ドラマの撮影のようでした。
店内には警察官がうじゃうじゃ・・・店長が事情聴取されていました。
「芦ー(店長・芦沢)大丈夫か??」
「ハイ、岩さん!!ガソリン入れて帰る途中、店の前通ったらパトカーが・・・」
たまたま、通りかかったらパトカーだらけ、慌てて店に入ったらしいです。警察官の話では、裏のアパートの人が、ガラスを割ってる音がしたため見に行ったら、裏のドアの上の非常用の小窓からお尻が見えた。ドロボーと思い、すぐ110番してくれたのだそうです。

警察官から、被害額を聞かれましたが動揺してすぐには答えられませんでした。計算機でたたき出した合計は売上、つり銭合わせて約125万円位でした。
被害届を書き、あっち、こっち指紋を取り、自分達も指紋を取られ、警察は帰りました。
完全に力が抜けました・・・。
警察が帰った後、割れたガラスを集めながら悔しさが募りました。

何が悔しいかって、従業員1人1人が一生懸命に
「いらしゃいませ!」
「お待たせしました!」
「ありがとうございました!」
「また、お願いします!!」
と声を出して、体を動かして、お客様から頂いた大切な、大切なお金・・・従業員達に申し訳ない気持ちでした。
お金はもちろんですが、自分の大事な店を壊された事も本当に腹立たしく、悔しい思いでした。

時間は朝4時近かったと思います。
店長も仕事で疲れているのに、最後まで付き合ってくれました。
割れたガラスの所に、ダンボールをはめ込んで帰りました。
翌日、先ず本部に連絡してから、壊された小窓の修理をしてもらいました。
数日後、僕の幼なじみが(鉄鋼業)鉄枠を溶接し、その窓から、二度と悪さができないようにと頑丈に、取り付けてくれました。

皆で力を合わせて働いて、お客様から頂いた尊いお金。
それが強盗の手に渡り、奴らが使うとそのお金は汚れたお金になる・・・?
複雑な気持ちでした。
この当時、岐阜・愛知から静岡に向かって、壱番屋を狙った強盗集団が多発していました。
まさか!まさか、自分の店に・・・多分、人事だったのだと思います。
被害にあって始めて身に染みる出来事でした。
自分の甘さを悔やみました。
盗む方はもちろん悪いですが、盗まれる方にも問題があったのだと思います。
情報はあったわけですから、先手・先回りの行動をしなくてはいけなかった、と教えられた事件でした。
事が起こってからでは遅いのです。

もし、店長があと5分~10分早く店の前を通っていたら、強盗集団と鉢合わせしていたかもしれません。
暴行を受けたり、殺されたり・・・それを考えると背筋がゾッとします・・・。
貴重なお金ではありますが、逆にお金で良かった。彼が無事で本当に良かった、そう思いました。

ありがとうございました。
            ペコリ


溢れる感謝

平成19年3月5日(月)

おはようございます。3日目お願いします。

皆さんが、忘れられない言葉・瞬間ってどういうものですか?

1号店目を、オープンして2年後、平成14年7月31日に、本部より電話がありました。
「岩崎さん、沼津に2号店目の物件が出ました。地図をFAXします。見てきてください。やるか、やらないかはの返事は後日・・・」
と、言う内容でした。な!な!何とその日は、自分の30歳の誕生日だったのです。(こんな事もあるんだ~)
神様からのプレゼントかなと思いました。
その日、仕事が終わって物件を見に行きました。(今のインター店です。)
コンビニの○○○リーマートさんが営業していました。
1時間位、車の中から偵察をしていましたが、全然お客様が来ない・・・。
たまたまその日は来ないんだ・・・と思い、時間をずらしながら何回か行きました。

心の中は不安だらけでした。

自分の中でグルメ街道は、飲食店経営の1当地のイメージがありました。
激戦区なのも、売れなければ撤退するお店が多い事も知っていました。
1号店目からの距離も、6キロしかなく近すぎる・・・
もし、もし、売れなかったら・・・約4500万も投資して・・・
考え過ぎて、マイナス思考になっていました。
悩み、悩み・・・悩み続けた結果・・・やる事に決めました!!
負けん気からですかね。
理由の1つは、複数店舗が夢だったから、もう1つは、沼津を自分の独占エリアにしたかったからです。
自分がやらなければ、直営店が出店してくる。
マイナスをプラスに変えるのも、自分次第。ピンチを成功に変えるのも・・・俺、次第!
やると決めれば行動のみです。
本部に後日「僕に、新店をやらせてください!!」と連絡を入れ準備期間に入りました。
オープンまで4ヶ月・・・やる事は山済みです。
計画表を作成して確実に前向きに行動していきました。
図面の打ち合わせから、お金の借り入れ、アルバイトさんの募集、業者さんの手配・・・
保健所へは3回も足を運びました。
時間が無かったのですが、これが意外と楽しかったのを鮮明に覚えています。

平成14年11月27日、2号店目となる沼津インター店がオープンしました。
当日、天気・晴れ。
本部スタッフ、応援にきて頂いた近隣店舗のオーナーさん、遠くからは、東京・横浜、千葉・・、のオーナーさん達、総勢30人以上のメンバーでお客様を迎えました。
11時オープン。お客様が・・・来ない・・・12時、少しずつお客様が入り出したと思ったら、お昼のピークがないまま、13時・・・14時には、1人もお客様がいない状態でした。
心の中は、(どうしよう、ヤバイ???、)
夜に期待!!そして!・・・夜もピークがないいまま閉店。
来て頂いた、オーナーさん達からは
「岩さん、これから、これから、がんばって!!」
「大丈夫、大丈夫・・・」
励ましの声を掛けてもらいました。
もちろん顔ではニコニコしているけれど、この先の事を考えると・・・
全額借金・・・兄に言われた言葉が頭をよぎります。
『自分は調子にのっていたのか??』『天狗になっていたのか??』・・・。
その日の夜は眠れませんでした。

2日目、11時にオープン・・自分は誘導(自動ドアーの前で、お客様をテーブルに案内する)に立ちました。自らお客様を迎えたかったのです。
11時15分、どんどんお客様がお見えになり、あっという間に満席になりました。
今までに感じた事の無い何かが・・胸がこみ上げてきました。
その時!その時です!!涙が!!!涙が出てきて止まらないのです。
誤魔化そうとしても、どんどん涙が溢れてくるのです。

本部の人に誘導を代わって頂き、走って店の裏に行きました。
声をあげて泣きました。
感謝です。お客様に感謝の涙で・・・涙が止まらない・・・
自分の気持ちを何とか落ち着かせ店に戻ると、依然満席状態でした。
本部スタッフの人が、
「岩崎オーナー、嬉しいですね。まだまだお客様来ますよ!頑張りましょう!!」
「誘導、お願いしますね!!」
泣いた顔はバレバレだったのに、彼は、僕が泣いていた事を一言も茶化す事無く仕事に戻っていきました。
涙がこみ上げてくるのを我慢しながら、店の中を駆け回りました。
夜も満席で、たくさんのお客様に来て頂きました。

1日目から、満席で売上が高かったら、涙が出る程の感動は無かったでしょう。
お客様の大切さを、今まで以上に思い知らされたオープン初日・2日目でした。
一生忘れる事のない2日間、忘れてはいけない2日間だと思いました。
『お客様、笑顔で向かえ、心で拍手』
これは、自分が独立した時、ココイチ創業者・宗次徳治顧問・直美会長夫妻から、お祝いで頂いた額入り色紙に書いてある言葉です。
お客様がご来店して、自動ドアが開き、従業員が拍手して喜んでいたら変な店に感じる。
だから、心からの笑顔でお迎えし、拍手喝采は心の中でですよっ、という意味です。
この言葉を、心底実感した2日間でした。
この気持ち、この言葉は生涯忘れてはいけないものだと思っています。
ありがとうございました。

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    ペコリ

新事業

平成19年3月4日 (日)

おはようございます。
2日目お願いします。

皆さん、ピザや出前といった宅配サービスを利用した経験、1度はありますよね?

平成15年10月1日から、1号店目の駿東柿田川店にて新事業としてカレーの宅配サービスを始めました。本部からの支持もありました。
『店内でお客様を待っているだけではもう遅い。こちらから、お客様の所に温かいカレーをお持ちする事で喜んで頂くお店は、売上増加を目指す。』
でしたが、正直やりたくありませんでした。恐かったのです。
何が恐かったかというと、事故です。もし、宅配中にアルバイトさんが事故したら・・・

始める前に、いくつかのポイントを押えながら計画的に進めていく事が決め手でした。

①お客様のターゲットの絞り込み・・・
 お子さんが小さくて外食ができない家族
 独身でコンビニ弁当が多いサラリーマン
 お年寄り
 外に出れない・外食が出来ない企業の人
 会社、警察、消防、学校、市役所、・・

②エリアの設定
 本部から言われている独占エリアは店舗から半径2キロまででした  が、あえて、1キロから1・5キロまでにしました。
 初めからエリア を広げすぎると予想外のオーダーにお店側が対応で きず、お客様に迷 惑をかけてしまう可能性がある。
 エリアを広くする事は後からできます。狭くする事はできません。

③宅配の時間の決定
 時間は自分と店長とで話し合い、昼は11時~14時、夜は18時~ 21時に決めました。

④全従業員が電話にて、的確かつ元気に対応できるか?
 昼の部・夜の部に別れ、2回に、集まってもらい「なぜ、宅配を導入 する事になったのか?」「皆さんにどうしてほしいのか?」ミーテー ングを行いました。

⑤用意する物
 宅配車、宅配バイク、保険代、パソコン、パソコン顧客データ管理  (電話が鳴るとパソコンに名前、住所・・・出てくる)
 お弁当を入れる保温バック、ウエストポーチ、防犯ブザー、懐中電  灯・・・・
 思った以上にお金が掛かりました。

ここまで、準備ができたら、1週間前から営業です。休憩時間を使って、チラシとゼンリンの地図を持って企業様に行きました。
自分は、営業経験がなかったので・・・いい勉強になりました。
清水町には卸団地があり、沢山の企業が集まっています。
まずは、1件1件店長と回りました。
自分「すみません!!ココイチですけど!」
相手「ハイ、何でしょう??」
自分「来週から宅配サービス始めますので宜しくお願いします。」
相手「何個から??」
自分「1個からです。」
相手「助かるわ~~」
っとこのように、好感触でした。心の中で(売れるかも・・・?)
翌日・・・
アルバイト「オーナー宅配の注文の電話です!!」
自分「やりましょう!本番と思って頑張りましょう!!」
そうです。1週間後と伝えたのに・・・、でも、嬉しかったです。

いよいよ当日、たくさんの電話を頂きました。電話がパンク寸前でした。嬉しい悲鳴が店内に響き渡っていました。
この月の宅配弁当の出数は約700個と、想像以上に良い出だしでした。
その後1,000個を目標に掲げ、数ヶ月後にそれは達成されました。
宅配を始めて3年5ヶ月後の現在では、月1,200個を下ることなく
地域のみなさんから支持され続けています。

始めは嫌だと思っていたことが(ピンチ)、地域貢献に繋がり、今では宅配に出る事が楽しくて仕方ありません。
なぜなら、自分の行く先には、このカレーを今か今かと待っているお客様がいて、玄関を開けた時のあのお客様の喜びの表情からは、形容しがたい感情を頂けます。
作らずとも、自然に満面の笑みでの接客ができているのを感じますし、
「ありがとうございました!」の言葉は、心の声と重なって嘘・偽りない発声になっています。
帰りは、次に待つお客様の事を考えながら、足も心も軽くなっているのが解かります。

あるおばあちゃんが、こう言いました。「カレーを食べたくても、おじいさんと2人じゃなかなか作れなくってね~。たくさん作っても残しちゃうし、少し作っても美味しくないし。カレー屋さんが出来てくれて良かったよ~。また、カレーが食べれるよ。」と。
本当に嬉しかったです!!そのとき改めて思いました。
自分がカレー屋をここにオープンさせた意義が少しでもあった、と。

良い事ばかりでなく、クレームや困難にももちろん遭遇します。
でも、電話の向こうに待っててくれるお客様がいる。
この事実が自分に次への活力をくれるのです。
何でもそうですが、新しい事を始める時は、期待だけでなく、不安やリスクも伴います。けれど、現状維持ではなく『攻めること』も必要で、そこから新たな喜びや、更なる達成感が生まれることを痛感しました。これからも、日々進化し続けたいです。
ありがとうございました。
              ペコリ



僕の理解者

平成19年3月3日 (土)

おはようございます。1日目宜しくお願いします。

今日から、1週間ブログ担当させて頂きます。岩崎です。
前回同様、誤字、脱字は、心広い皆様の事なのでそのまま流してくださいます様なにとぞ、宜しくお願い申しあげます。自分なりに楽しい1週間にしたいと思いますのでお付き合いください。

皆さんが「自分を一番解かってくれている」と思う人はどなたですか?

皆さんご存知の通り、僕はカレー屋さんを経営させて頂いています。
平成12年10月10日駿東郡に1号店目(駿東柿田川店)をオープンさせて頂きました。
自分には、6歳年上の無口な兄がいます。兄とはオープン半年前までの約5年間、音信不通でした。
その兄に独立の話をした時、兄は猛反対でした。
「借金してまでやることじゃない!世の中そんなに甘くない!よーく考えてみろ?!」と言われました。
僕の性格上よけい燃えましたね。「絶対に兄を見返してやる!!」そう思いました。
それからしばらく、また兄とは連絡を取り合わなくなりました。

オープン直後は本当に大変でした。休憩など取れず、朝から晩までカレーを作り続けました。ご飯といえば、冷ましたカレーを立ったまま流し込むように1分で食べ、またカレーを作る。
深夜遅くなれば、帰宅する体力も残っておらず、店のソファーに座ると立つ事もできず、そのままソファーで朝を迎え、店のシンクでシャンプー・髭剃りなんて当たり前のような日々が続きました。
必死でした。休みも無く(年中無休なので)、来る日も来る日も死に物狂いで働きました。

店も落ち着き、少しずつ自分の時間が持てるようになったのは、オープンして1年くらい経った頃でしょうか。
そんな時、突然の兄からの電話。「ヤス~、時間ある?」
兄と飲みに行く事になりました。少し憂鬱な自分がいました。
予感は的中。兄から説教が始まりました。
「儲かっても絶ッッ対天狗になるなよ!調子んのんなよ!」などなど・・・。(心の中では、カエリテ~~)
と、そこに兄の友人が大きな風呂敷を持って合流。
その風呂敷は友人から兄へ、兄から自分へ渡り、中を開けるよう促されました。
風呂敷を開けると、額に入った『一番』という大きな文字が目に飛び込んできました。
兄はたった一言「お前に」と言いました。それは兄から自分へのプレゼントだったのです。
驚きを隠せずにいる自分に「オープンおめでとう」と兄が言いました。
お酒も結構入っていた為か、自分は、涙が止まりませんでした。
感極まる・胸が詰まるような感情というのは、こういうことを言うんだな、と実感した瞬間でした。
本当に嬉しかった・・・。

程なくして、泥酔した兄は眠ってしまいました。
その間、兄の友人から『一番』のいきさつを聞きました。
『一番』とは、「壱番屋」からとったものではなく、
友人(陶芸をしている職人さんだそうです)が僕の店に来て、僕を見て、僕にあった言葉を選んで作ってくれたのだそうです。
自分はそんな風に見てもらえるような仕事ぶりだったということでしょうか。

兄は飲むと、得意げに仲間内に必ず言うのだそうです。
「弟がカレー屋やってるから、今度食べに行ってやって」と・・・。
あんなに反対していた兄。でも、一番心配し、応援し、喜んでくれていたのは他ならぬ兄だったのです。

無口で、不器用(手先はメチャ器用、顔はかっこいいです!!)な兄。
手前味噌ですが、良い兄です。
もしかしたら、自分の一番の理解者かもしれません。
自分に共感してくれるだけが、理解者ではありませんよね。
言いにくい事も言い、いい時だけでなく、悪い時も助言し手を差し伸べてくれる。
そして、そういう相手だからこそ、自分も助力したいと思うのです。
そこには、損得などありません。
ただ、自分がしたくて仕方がないから助けるだけのことなのです。

兄とは今も、頻繁に連絡を取り合うような事はありません。
けれど、以前のように5年も音信不通ということはなくなりました。
今では半年に1回くらい、兄弟2人、水入らずで飲みに行きます。2件目は(女の子がいるお店へ・・・)。
いい関係です。
兄に何かあったら、自分は真っ先に飛んでいくでしょう。
心から、兄の事、大好きです!!。
兄とは同じ、血が流れてるんですよね。
ありがとうございました。


        
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           ペコリ



            

人生の目標

平成19年3月2日金曜日
おはようございます。高村です。最終日よろしくお願いします。

さて、大きな題名を付けてしまいましたが、言っていることはたいしたことはありませんので、あしからず。

5年後・・・・10年後・・・・
先日、僕が所属する花の団体である『静岡県東部鉢物研究会』の定例会で、会員の栽培、経営の検討会があり、その中に“5年後、10年後までに取り組みたいこと”を書く欄があり、自分はどんなことをしているだろう?と、しばし考えることがありました。僕は5年後は38歳、10年後は43歳になります。まあ、バリバリ働き盛りという年齢ですよね。

シンビジューム栽培が軌道に乗り、栽培技術の基本も分かってきて、毎年買いに来てくれるお客さんもできてきた現在、規模拡大、品質の向上、開花出荷の時期を長く持ち(10月~3月くらい)いつでもお客さんのニーズに応えられるようにする。など、まだ具体的にはなっていませんが、やりたいことが徐々に出てきています。これから5年後、10年後の姿を具体的にしていき、その目標に対して今やるべきこと、必要なことをはっきりさせていきたいと思います。

そして、最終的な目標、僕が考える人生の目標とは、幸せな人生を送ることです。
たぶんそれは、人生の最期に『悔いのない幸せな人生をありがとう』と言って死ぬことだと考えています。現在の状況からいって、その目標と現在の自分の距離は計り知れないくらい遠いものに感じます(幸せではないということではありません)。そして、自分の状況も目標も同じ速さで進んでいて、距離が縮まらない。このままでは達成できないような目標です。これからその距離を縮めていき、最終的には達成できるように行動していきたいと思います。

昨日の自分を追い越そう!向上心はいつまでも持ち続けていたいですね。

二週間ありがとうございました。皆さんの応援に感謝です。
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