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沼津経営塾

お互いに切磋琢磨して、人生をより良いものにしていきたい。コツコツ学ぶ仲間の集いです。月1回沼津三島にて勉強会を開いています。

’19年 3月 沼津経営塾のまとめ

’19年 4月24日       鳥居直樹

おはようございます。。

 ブログを読んでいただき、どうもありがとうございます。
また、親身になってコメントしてくださり、どうもありがとうございます。

 五日目、よろしくお願いします。

「‘19年 3月  沼津経営塾のまとめ」

<継続的に収益が高まっていく会社は、どういう会社か?>

・雇っている社員さんたちの勤続年数が積まれていく時、同時に、一人一人の給与をアップしてあげなければなりません。

・経営者は、“一人一人の給与をアップさせながら、なおかつ 黒字にするには、どう経営したら良いのか?”ということを、経営の最初に考えておかなければいけないのではないでしょうか。

・私(杉井先生)が、今まで、一年に1つのテーマを決めて、そのテーマをマスターすることに こだわって生きて来たのは、良かったです。
 それを達成できるような計画を立てることが大切です。

・「与えられた環境や与えられたルールの中で どうやったら一番利益が出るか?」それをみつけて実践することが大事です。いろんなやり方を試してみる(マニアックに)必要はありません。

・その土台となるのは、“ハガキ書き”や“ブログ”のような毎日のことを、手を抜かずに如何に丁寧にできるかどうか、だと思います。
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〇研修は、会社の中で一番がんばっている人に受けさせるべきです。
 (全員に平等に受けさせよう。)
 (問題のある人に受けさせよう。)
という考え方は、N.Gです。

〇人の教育においては、“タイミング”を逃さないことが大切です。

・鈴木さん(丸九旅館)より質問
「“タイミング”について、もう少し詳しく教えてください。」

(杉井先生)
― 鈴木さんの所のAさんが、最近、CL講座を受講したことで、ご本人が何か気づきを得られて、生き方に変化が出始めましたよね。
 その時に、いい刺激を与えることが大切です。

 感情は、時間が経てば、冷めていきます。また、人は、覚えたことも、時間とともに忘れていくものです。
 だから、本人が柔らかくなっている時に、いい刺激を与えて、“1つの結果”というものを出させてあげたいです。

・広く“タイミング”について考えた時、何でもかんでも早ければいい、というものではありません。
 例えば、2月行われた旅館甲子園の発表に向けて、私はK社長(柏屋旅館)に、スピーチの原稿を書いてもらう時期を ずっと見計らっていました。あのK社長の発表内容は、2月になってから作ってもらったんですよ。
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・“ねたみからの発言”(誹謗や中傷)について
  たとえ 言われたとしても、それを言われた人は、そんなには傷つきません。
 むしろ、それを言った人の信用が落ちます。
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・結局、みんな、自分の問題で苦しんでいます。
  自分が成長すれば、その問題は解けます。
                                 以上

杉井先生。
 どうもありがとうございました。

 次を参照して頂ければ、より理解が深まると思います。
“杉井のひとこと”― 3月7日

本当に社員のことを考えていますか?
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あいさつ

’19年 4月23日      鳥居直樹

 おはようございます。。

 四日目、よろしくお願いします。


「あいさつ」

 私は、朝、散歩しています。家の周辺を15分くらいかけて、です。コースが、3パターンくらいあります。

 2ヵ月ほど前、(午前)5時40分頃、清水町と三島市の境界上にある清住(きよずみ)緑地という所を歩いていました。

 住宅地を抜けてから、木立ちのある湿地沿いの遊歩道へさしかかる前に、細い路地から、60代くらいの女性の方が歩いて出て来られました。
 その方も、私と同じように、運動のために歩いていらっしゃるようでした。

 2月の中旬でしたので、辺りは真っ暗で、その方は、小さな懐中電灯を灯しながら歩いていらっしゃいました。

 その方は、私の足音から、(うしろに誰かが歩いている。)と気づかれました。

 初め、私は、その方の10メートルほど後ろを歩いていたのですが、ほんの少し私の歩く速度が速いので、私は、その方に次第に近づいて行きました。

 その方が時々立ち止まったりするので、後ろの私にとても警戒していることが分かりました。

 (もし、後ろの男がおそって来たら、どうしよう?!)そんな風に思われているようで、私は少しイヤな気分になりました。

 その先に分かれ道があり、私は、そこで右に曲がって小川を渡って スロープを登って町道へ出る予定でいました。

 今や 私のすぐ前を歩いているその方が分岐点にさしかかった時、その方は、右へ曲がりました。

 私も、予定通り、その方のあとを追うように、右へ曲がりました。
 すると、その方は、ますます警戒されているようです。

 やがて、スロープが180度 向きを変える ちょっとした踊り場の所で、その方は、立ち止まり、振り返って、私のほうを見ました。
 私は、無言で、その方の前を歩き、その方を追い越して歩き続けました。

 何か、その方から(男が ついて来ていた。)と疑われているみたいで、私は(そんなんだったら、この未明の真っ暗な時間に、女性が一人歩きしなければいいのに。)と、その方に不満を抱いていました。

 その日から10日後くらいに、私は、また、10日前と同じコースを散歩していました。

 その日も、辺りは まだ真っ暗でした。そして、10日前と同じように、その方と出くわしてしまいました。

 闇の中に私の靴音が響き、後方から 私は次第に その方に近づいて行きます。その方が、時々、立ち止まって、私を警戒しています。

 (またか?! )と、私はイヤな気分になりました。
 そして私は、その方のすぐ後ろまで近づきました。

 私は、あいさつをするべきか、どうすべきか、迷いました。(昨今の情勢から、あいさつすることが、変に思われてしまうのではないだろうか?)と思いました。

 その方が、立ち止まりました。

 結局、私は思い切って「おはようございます。」と、あいさつしました。すると、その方も「おはようございます。」と、声を返してくれました。そして・・・
女性「もう何年も前から散歩してらっしゃいますね?! 」
 私「・・・その日によって、歩くコースは違いますけど・・・。」
女性「今朝は冷えますねぇ?! 」
 私「そうですねぇ。」
と、思いの外、その方と会話することができました。
 そして、その事で、その方の緊張が一気にほぐれたようでした。

 私は(あいさつをして良かった。)と思いました。
 私は、自分の中にお化けを作っていたのだ、と思いました。昨今の情勢から、<すれちがう子どもに あいさつをしただけで、誘拐犯と思われる>という うわさに惑わされていました。
 (相手は大人なんだから、こちらは自然体でいけばいいんだ。)と思いました。

 <山道で人とすれ違う時は、お互いに あいさつをするものだよ。それは、お互いに警戒を解くためだよ。>という先人の教えは、意味のあることだからこそ、経験則として、いつまでも残っているのですね。

 これからも、先人の教えを自然体で行動します。

 どうもありがとうございました。

チョコラテ・デ・コメ子

’19年 4月22日      鳥居直樹

おはようございます。。
 お休みの中、時間を作って、コメントしていただき、どうもありがとうございます。

 三日目、よろしくお願いします。

「チョコラテ・デ・コメ子」

 昨日 4月21日は、母の命日(三回忌)だった。
享年81歳だった。

 母から聞いたエピソードを1つ紹介したい。
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 母は、昭和11年3月23日に、ここ清水町に、米穀店を営んでいた両親の元に、3番目の子として生まれた。

 母の父(私の祖父)は、とても 仕事熱心な人だった。
祖父は、第二次世界大戦の終戦と同時にシベリアへ抑留され、その地で数年、捕虜としての生活を強いられ、後に、帰国した。

 帰国した祖父は、家業のトリイ商店へ、情熱の全てを注ぎ込み、そのお蔭で、当時のトリイ商店は、昇る龍の勢いで繁盛していた。

 母の母(私の祖母)は、伊豆長岡の古奈育ちで、歌の好きな人だった。私が幼少の頃、祖母が家事をする時には、たいてい、その時の流行歌を口ずさんでいた。

 そんな祖母に育てられた私の母も、まぎれもなく 歌が好きで、母は少女時代に、親に頼んで、ピアノの稽古に通わせてもらっていた。

 そういったハイカラな母であったため、小学生の時に、母は、同級生の男子生徒たちから いじめられていた。
 母は、それが苦痛だったので、中学は、隣の沼津市へ越境入学した。

 母の上には、兄一人と姉一人がいた。

 母の兄弟は、戦中戦後の食糧難の中、栄養不足の食生活を余儀なくされた時期があり、又、「学徒動員」と言って、工場で労働しなければならなかった時期もあった。その影響もあり、母の兄と姉は、若くして 結核を患い、亡くなってしまった。

 母が小学生高学年か中学生の時のこと。
その時、母の兄は大学生で、東京で下宿生活をしていた。
 ある日、その兄は、母を東京へ招いて、案内してくれた。

 母と母の兄は、お上りさんといういでたちで、街の中を歩いていた。戦後間もない時で、街には、アメリカの進駐軍の兵士たちも居た。

 一人の青い目をした兵士の目に、母がとまった。青年兵士の目から見た母は、おそらく、色黒くて、田舎娘だったと思う。でも、母のあどけなさと何かしらの魅力が、兵士の歩みを母に引き寄せてやまなかった。

 青い目をした兵士は、母の目の前に来て、母に、紙に包まれた小さな物を手渡した。

 その時、兵士が母に何か言ったかどうかは分からない。
横に居た兄が、兵士に向かって「サンキュー。」と言った。母も兄に続いて「サンキュー。」と言った。
 兵士は微笑んで、手を振りながら離れて行った。

 あとで、兄は母に「それ、食べてごらん。」と言った。
母は、包みの中から、四角い茶色のかたまりを取り出し、おそるおそる、口の中へ運んだ。

 始め かたまりだったそれは、母の口の中で、やがて 溶けていき、母の口の中いっぱいに、生まれてから一度も体験したことのない甘さと香りが広がっていった。
 一粒 食べ終えた時、母は、満面の笑顔で兄を見ていた。

「チョコレートって言うんだ。それは。」と、兄が教えてくれた。
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 この日の体験が その後の母の人生に かなり影響を与えたのではないか、と私は 勝手に想像しています。

 その後、母は、声楽を志し、同時に シャンソンに興味を持ち、沼津西高(当時は女子高)を経て、武蔵野音大へ入学して、上京します。そして、シャンソン歌手 石井好子先生へ師事します。

 歌のほかにも、宝塚歌劇の観賞などは特に好きでした。

 そして、少女時代の あの日の体験が芽になったのか、家業の合間に、お菓子作りに励んでいました。
 また、地元の仲間と英語の勉強サークルを作って、ネイティブスピーカーの先生を招いて、英語を勉強したり、フランス語を勉強したりしていました。

 そのように、一生を通じて、自分を向上させようとしていた母を、私は尊敬しています。

 母に“ありがとう”を伝えようにも、今は居ません。

 私が作ったものでなく借り物ですが、次の動画を分かち合うことで、母への感謝のことばに代えさせてくださいね。

 どうもありがとうございました。

Popcorn Rice

一口タクシーメモ “ヘッドライトを点灯する”

’19年 4月21日           鳥居直樹

 おはようございます。。

二日目、よろしくお願いします。

「一口タクシーメモ “ヘッドライトを点灯する”」

 こんにちは。
 これからの季節は、日照時間が長くなって来るし、陽ざし自体が明るいので、多少 見えやすいのですが・・・。

 ドライバーの方におススメするのは、ガード下(トンネル)を走行する時には ヘッドライトを点灯することです。

 ガードの外にいる その他の交通、車・自転車・歩行者から、ガードの中は見えにくいです。
 冬場は、特に見えにくいです。

 自分が外に居た時に、ガードの中を無灯火で進行して来た車が見えなくて、暗い中から急に車が現れて、ビックリした、という事が 時々あります。

 ガードの中を走行している車がヘッドライトを灯してくれれば、出口(ガードの外)に居る者は、じきに車が出て来る事に気づく事ができます。

 ですので、事故防止の為に、ぜひ、点灯してください。
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 これに関連して、近年、夜間なのに無灯火で走行している自動車を見かけます。

 理由の一つとして、ドライバーがライト点灯を忘れている場合 つまり自分が無灯火で走行している事に気づいていない場合が考えられます。

 それは、旧型の自動車なら、もしライトを点灯していないと、運転中のドライバーは、ダッシュボードの計器類が見えなかったので、すぐに気づいたのですが、最近の車は、構造上、ライトを点灯しなくても、計器類に電気が通電していて光っていて見えてしまう為に、その時 自車が無灯火である事に気づかないのだと思います。

 だから、一ドライバーとして、自動車メーカーにお願いしたいのは、昔と同じような、夜間、ヘッドライトに点灯しなければ、ドライバーには計器類が見えない、そういう構造の車を作って欲しいことです。

 沼津経営塾で、今までに
「自分(自社)が人から見て どう見えているのか?を意識する事がたいせつだよ。」と教わって来ましたね。
 それは、車の運転にも言えることで、自分の運転している車が、あるいは、自分の運転(マナー)が、周りの人の目に どう映っているのか 意識することがたいせつなのではないでしょうか?

 今日も、安全運転をして頂き、どうもありがとうございます。

           あなたのお出かけのお助けマン   鳥居直樹

いぶりがっこ

’19年 4月20日                鳥居直樹

 おはようございます。。

 室伏さんから、ブログのたすきを確かに受け取りました。

 一週間、私 鳥居におつき合いのほど、よろしくお願いします。

「いぶりがっこ」

 人は、どんな味を求めているのでしょうか?
人それぞれの嗜好の違いはありますが、少なからず人は甘さを求めている、と私は思っています。

 ただ、一口に 甘さといっても、いろいろな甘さがあります。
食物や飲料に砂糖を加えれば甘くなりますが、まったく砂糖を使っていないのに甘みのある食物があります。くだものや、さつま芋、カボチャです。
 調理のし方によって、玉ねぎなどの野菜に甘みが感じられるときもあります。

 そして、その食物に“甘さ”を何も期待していなかったのに、甘さが滲み出て来る食物には、驚かされるし、とても興味深いです。

 私は、朝食の最初に、漬け物=たくあん漬けをいただいています。私がいただいているたくあんは、天日干しされた大根を米ぬかと“海の精”という自然塩に漬けて作られている醗酵食品です。

 朝食の手はじめに、この天日干したくあんを一切れ ほおばり、噛んでいるうちに、噛むほどに、僅かですが甘みが出て来るのです。
 この一切れの たくあんを、よく噛めるか、おいしくいただけるか?で、その日の自分の体調を摑むことができます。そして、滲み出て来る甘さを感じられる一時は、私にとって“至福の時”です。

 さて、昨年の初冬に、このたくあんがなくなりそうだったので、海の精から買い求めようとしたのですが、問い合わせたところ、おととしの天候の影響で原料になる大根が不作だった為、品切れになってしまい、同じたくあんを入手できなくなってしまいました。
 それで、スーパーへ行って、別のたくあんを入手して、食べてみたのですが、海の精のたくあんのような深い味がしませんでした。

 そのように、朝一番にいただく おいしいたくあんを探しているうちに、ある日、同じスーパーに“いぶりがっこ”という漬け物をみつけました。
 その漬け物“いぶりがっこ”は、10年ほど前に、沼津経営塾メンバーでワインのソムリエである輿水さんから教えて頂きました。

 ウィキペディアによれば ―
“いぶりがっこ”は、秋田県の内陸 南部地方で独特の製法で作られる醗酵食品です。大根や人参などを囲炉裏の上に吊るし、燻すことによって乾燥させた後に、米ぬかと塩に漬け込んで作られます。野菜が燻される為に、表面は褐色をしていて、独特のにおいがあります。

 私は懐かしくなり、その“いぶりがっこ”を買いました。その いぶり大根は、燻製の匂いが かなり強かったです。1口サイズに刻んで、小皿に入れ、ラップをして、冷蔵庫に入れたのですが、たちまち、冷蔵庫内が燻製臭で充満してしまい、カミさんから「あなたが漬け物を入れたから、冷蔵庫中がくさくなっちゃったじゃないの!」と、非難ごうごうの嵐でした。

 海の精のたくあんがあったときには、妻や子どもも それを食べるので、次第に減っていくのですが、この いぶり大根を妻や子どもは食べませんでした。それほど、においが強かったです。

 私が、一日1切れずつ、朝に食べていましたが、10年前に輿水酒店から求めた いぶり大根とは、今ひとつ味が違っていました。
 そのスーパーの いぶり大根が終わったので、昔いただいた いぶり大根“いぶりがっこ”を、輿水さんに取り寄せてもらいました。こちらの包装には、小町美人の写真が印刷されています。

 そして、1週間ほど前に、輿水さんより、入荷のご連絡を頂き、食べはじめました。
 いぶりがっこを切ったばかりのときは、今ひとつ、味が感じられませんでした。しかし、2日目 3日目から、噛むほどに甘みがして、深い味が出て来ました。
 切った表面が空気と触れることで、醗酵に変化が生じ、味が変わって来たのだと思います。

 輿水さんから購入した いぶり大根は、なぜか、冷蔵庫の中に燻製臭を充満させることがありませんでした。

 興味深いと思ったのは、産地の横手市山内地区で、この燻る製法で作られる漬け物(=いぶりがっこ)の味を競う“いぶリンピック”なるイベントが開催されているそうです。

 もし着物にたとえるなら、スーパーの いぶり大根は、ビニール製のもんぺで、輿水さんの いぶり大根は、絣のもんぺ、それくらいの違いがあります。

 みなさんも、ぜひ、食べてみてけれっ! 必食

 こんな私も、人間として、「噛むほどに味の出て来る男だね。」と、人から言われるように、成長しなければいけませんね。

どうもありがとうございました。
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